星の郷・美星

Bisei

星の郷・美星 高梁川流域デジタルアーカイブ

美星町は星が美しく見える町。光害防止条例で星空を守る。 七夕の日などは天の川を見ようと夜遅くまで見物客で賑わう。


【ゆかりの場所】美星天文台

彫刻界の巨匠・平櫛田中

Denchu Hirakushi

彫刻界の巨匠・平櫛田中  高梁川流域デジタルアーカイブ

岡倉天心に師事。写実的な作風で日本近代を代表する彫刻家の一人。代表作は「鏡師子」。1962年文化勲章を受章。

【ゆかりの人物】平櫛田中
【ゆかりの場所】田中美術館

矢掛が生んだ「大字かな」の先駆者 田中塊堂

Kaido Tanaka

矢掛が生んだ「大字かな」の先駆者  田中塊堂  高梁川流域デジタルアーカイブ

矢掛町名誉町民。流麗なかな文字の書家として活躍。日本書道界の重鎮として芸術、文化の向上に大きく貢献した。

【ゆかりの人物】田中塊堂
【ゆかりの場所】やかげ郷土美術館

宿場町の歴史を今に伝える  矢掛本陣・矢掛脇本陣

Yakagehonjin・Yakagewakihonjin

宿場町の歴史を今に伝える  矢掛本陣・矢掛脇本陣  高梁川流域デジタルアーカイブ

宿場町としての面影を残す街並みのシンボル。参勤交代時に大名等の宿泊場所として使われた。当時の資料も多数残る。

山田方谷も師事した儒学者 丸川松隠

Syoin Marukawa

山田方谷も師事した儒学者 丸川松隠  高梁川流域デジタルアーカイブ

江戸時代後期の儒学者。新見藩校・思誠舘の督学に就任し、山田方谷など多くの人材を育てた。政治参与としても活躍。

【ゆかりの人物】山田方谷丸川松隠
【ゆかりの場所】雲居寺

中世のロマン 備中国 新見庄

Niiminosyo

中世のロマン 備中国 新見庄  高梁川流域デジタルアーカイブ

室町時代の新見庄は相国寺と東寺の荘園。国宝「東寺百合文書」の中に「たまがき書状」を含む約2000点の関連資料がある。

社会福祉の先駆者 留岡幸助

Kosuke Tomeoka

社会福祉の先駆者 留岡幸助  高梁川流域デジタルアーカイブ

宗教家、社会福祉家。伝道者ケレーの話に感激し、牧師や教誨師として伝道や犯罪者の救済に努め、感化院、家庭学校を創立。

【ゆかりの人物】留岡幸助
【ゆかりの場所】高梁基督協会

天守の残る唯一の山城 備中松山城

Bichu Matsuyamajo

天守の残る唯一の山城 備中松山城  高梁川流域デジタルアーカイブ

国重要文化財。現存天守を持つ山城では最も高い位置にある。雲海に浮かぶ天守の様子から「天空の山城」と呼ばれる。

【ゆかりの場所】備中松山城

日本の原子物理学の父 仁科芳雄博士

Yoshio Nishina

日本の原子物理学の父 仁科芳雄博士  高梁川流域デジタルアーカイブ

「日本の原子物理学の父」と呼ばれる物理学者。「クライン・仁科の公式」を導出。理化学研究所仁科研究室を主宰した。

【ゆかりの人物】仁科芳雄
【ゆかりの場所】里庄町歴史民俗資料館仁科芳雄博士生家仁科会館(科学振興仁科財団)

ふるさと逸品 まこもたけ

Makomotake

ふるさと逸品 まこもたけ  高梁川流域デジタルアーカイブ

里庄町の特産品。イネ科の多年草「まこも」の肥大化した茎。シャキシャキとした触感が特徴で中華料理では高級食材とされる。

笠岡で生まれた日本画家 小野竹喬

Chikkyo Ono

笠岡で生まれた日本画家 小野竹喬  高梁川流域デジタルアーカイブ

笠岡市生。近現代日本画壇を代表する画家。日本の自然の美しさを描き続けた。文展の特選受賞など、数々の名作を残す。

【ゆかりの人物】小野竹喬
【ゆかりの場所】笠岡市立竹喬美術館

笠岡の風土が生んだご当地ラーメン

Kasaoka ramen

笠岡の風土が生んだご当地ラーメン  高梁川流域デジタルアーカイブ

笠岡市は養鶏と製麺が盛んな土地。鶏がらスープと煮鶏を使った笠岡ラーメンが親しまれる。魚介スープをあわせたものもある。

天文のまち あさくち

Asakuchi

天文のまち あさくち  高梁川流域デジタルアーカイブ

浅口市は天体観測に適した地。岡山天体物理観測所・岡山天文博物館があり、京大・岡山・3.8m新技術望遠鏡も建設される。

【ゆかりの場所】岡山天文博物館

浅口の奇才 小野光右衛門

Mitsuemon Ono

浅口の奇才 小野光右衛門  高梁川流域デジタルアーカイブ

金光町の庄屋。政治・和算・暦・地図測量・天文観測と多くの業績を残す。和算の入門書「啓廸算法指南大成」も出版した。

【ゆかりの人物】小野光右衛門
【ゆかりの場所】小野家庄屋跡

早島町花ござ手織り伝承館

Hanagoza Densyokan

早島町花ござ手織り伝承館  高梁川流域デジタルアーカイブ

花ござ手織りの伝統技術を保存継承する施設。昔ながらの手織りで花ござを織る教室を開催。

【ゆかりの場所】早島町伝統工芸伝承館(花ござ伝承館)

石見銀山を再興した安原伝兵衛

Denbee Yasuhara

石見銀山を再興した安原伝兵衛  高梁川流域デジタルアーカイブ

早島町出身。石見銀山を再興し、徳川家康から『備中守』の称号を受領。 鶴崎神社の毘沙門堂や吉備津神社の御釜殿などを寄進。

【ゆかりの人物】安原伝兵衛
【ゆかりの場所】安原備中守供養塔

総社市で生まれた画聖 雪舟

Sesshu

総社市で生まれた画聖 雪舟  高梁川流域デジタルアーカイブ

水墨画を大成した総社市出身の禅僧画家。井山宝福寺には、涙でネズミを描いた逸話が伝わる。作品6点が国宝に指定。

【ゆかりの人物】雪舟
【ゆかりの場所】宝福寺

古代吉備文化発祥の地 総社市

Soja

古代吉備文化発祥の地 総社市  高梁川流域デジタルアーカイブ

作山古墳やこうもり塚古墳、備中国分寺、備中国分尼寺跡など、貴重な文化財が数多くあり、歴史的景観が広がる地域。


【映像資料】備中国分寺

地域で受け継がれる町並み 倉敷美観地区

Kurashiki Bikanchiku

地域で受け継がれる町並み 倉敷美観地区  高梁川流域デジタルアーカイブ

江戸幕府の直轄地「天領」。物資の集積地として繁栄。町家やなまこ壁の蔵が立ち並び、美しい白壁の町並みを形成している。

倉敷の礎を築いた 大原孫三郎

Magosaburo Ohara

倉敷の礎を築いた大原孫三郎 高梁川流域デジタルアーカイブ

実業家。大原美術館、大原奨農会農業研究所、倉敷中央病院、中国電力、倉敷商業高校などを創設、労働問題にも取り組んだ。

【ゆかりの人物】大原孫三郎
【ゆかりの場所】倉敷紡績記念館旧大原家住宅大原美術館

森田思軒生家跡地石碑

Moritashiken seikaatochi sekihi

笠岡市立図書館には、森田思軒顕彰コーナーとして、遺品などが展示されています。思軒の墓は東京都にありますが,笠岡(笠岡小学校裏手)の墓地にも分骨して墓がつくられています。また、生家(笠岡西本町)の建物は失われていますが,その跡地に小さな石碑が立っています。

【所在地】笠岡本町商店街の一角
【ゆかりの人物】森田思軒

【Googlemap】
Googlemapを開く

森田思軒墓

Moritashiken no haka

笠岡市立図書館には、森田思軒顕彰コーナーとして、遺品などが展示されています。思軒の墓は東京都にありますが,笠岡(笠岡小学校裏手)の墓地にも分骨して墓がつくられています。また、生家(笠岡西本町)の建物は失われていますが,その跡地に小さな石碑が立っています。

【所在地】笠岡市笠岡字小丸1787
【ゆかりの人物】森田思軒
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/b-siken.html


【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡市立図書館「森田思軒顕彰コーナー」

Kasaokashilitsutosyokan Moritashiken kensyo corner

笠岡市立図書館には、森田思軒顕彰コーナーとして、遺品などが展示されています。思軒の墓は東京都にありますが,笠岡(笠岡小学校裏手)の墓地にも分骨して墓がつくられています。また、生家(笠岡西本町)の建物は失われていますが,その跡地に小さな石碑が立っています。

【所在地】笠岡市六番町1-15
【電話番号】086-563-1038
【開館時間】9:30~18:00/19:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日・祝日・年末年始ほか
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
【ゆかりの人物】森田思軒
【ホームページアドレス】https://www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/

【Googlemap】
Googlemapを開く

井戸公園

Idokoen

井戸平左衛門の墓は笠岡の曹洞宗威徳寺にあります。威徳寺横の井戸公園では、井戸代官をしのぶ有志により植えられた桜に囲まれて、「井戸明府碑」が立っています。また、笠岡湾干拓地にある「道の駅 笠岡ベイファーム」の片隅にも、「井戸明府碑」が近年建てられました。

【所在地】笠岡市笠岡(威徳寺隣)
【ゆかりの人物】井戸平左衛門

【Googlemap】
Googlemapを開く

威徳寺

Itokuji

井戸平左衛門の墓は笠岡の曹洞宗威徳寺にあります。威徳寺横の井戸公園では、井戸代官をしのぶ有志により植えられた桜に囲まれて、「井戸明府碑」が立っています。また、笠岡湾干拓地にある「道の駅 笠岡ベイファーム」の片隅にも、「井戸明府碑」が近年建てられました。

【所在地】笠岡市笠岡5418
【ゆかりの人物】井戸平左衛門

【Googlemap】
Googlemapを開く

「一如」の碑

Ichinyo no hi

笠岡の古城山公園には、白印の筆による「一如」の碑が立っています。また、笠岡グランドホテル内に併設されたワコーミュージアムでは、白印の作品を楽しむことができます。ワコーミュージアムは入館無料で、笠岡ゆかりの芸術家を幅広く紹介しています。

【所在地】笠岡市笠岡2369-1
【ゆかりの人物】津田白印

【Googlemap】
Googlemapを開く

ワコーミュージアム

Wako Museum

笠岡の古城山公園には、白印の筆による「一如」の碑が立っています。また、笠岡グランドホテル内に併設されたワコーミュージアムでは、白印の作品を楽しむことができます。ワコーミュージアムは入館無料で、笠岡ゆかりの芸術家を幅広く紹介しています。

【所在地】笠岡市五番町6-20
【電話番号】086-562-5670
【開館時間】10:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
【ゆかりの人物】津田白印
【ホームページアドレス】http://
www.kasaokagh.co.jp/wako/


【Googlemap】
Googlemapを開く

敬業館の跡

Keigyokan

小寺清先が教授を務めた敬業館の跡地は笠岡市の史跡となっており、塾舎(生徒の宿舎)1棟が推定復元されています。その裏手には、早川代官「思徳之碑」と並んで、小寺清先の徳を讃えた「楢園先生之碑」が残っています。なお,清先の墓は、敬業館裏手の小寺家墓地にあります。

【所在地】笠岡市笠岡5327-1
【電話番号】086-454-0300
【開館時間】日中
【休館日】なし
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
【ゆかりの人物】小寺清先
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/b-keigyou.html


【Googlemap】
Googlemapを開く

木山捷平詩碑

Kiyamashohei shihi

笠岡市立図書館には「木山捷平文学コーナー」があり、自筆原稿や写真、愛用品などが展示されています。また、笠岡市山口には現在も生家が残っています。さらに笠岡市内には、生家、市立図書館前庭、古城山公園の3箇所に木山捷平の詩碑・歌碑があります。

【所在地】(生家)笠岡市山口742
(図書館)笠岡市六番町1-15
(古城山公園)笠岡市笠岡2369-1
【ゆかりの人物】木山捷平
【Googlemap】
Googlemapを開く

木山捷平生家

KiyamaShohei seika

笠岡市立図書館には「木山捷平文学コーナー」があり、自筆原稿や写真、愛用品などが展示されています。また、笠岡市山口には現在も生家が残っています。さらに笠岡市内には、生家、市立図書館前庭、古城山公園の3箇所に木山捷平の詩碑・歌碑があります。

【所在地】笠岡市山口742
【ゆかりの人物】木山捷平
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡市立図書館「木山捷平文学コーナー」

Kasaokashilitsutosyokan Kiyama

笠岡市立図書館には「木山捷平文学コーナー」があり、自筆原稿や写真、愛用品などが展示されています。また、笠岡市山口には現在も生家が残っています。さらに笠岡市内には、生家、市立図書館前庭、古城山公園の3箇所に木山捷平の詩碑・歌碑があります。

【所在地】笠岡市六番町1-15
【電話番号】086-563-1038
【開館時間】9:30~18:00/19:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日・祝日・年末年始ほか
【料金】無料br /> ※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】木山捷平
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/


【Googlemap】
Googlemapを開く

西山拙斎碑

Nishiyamasessai hi

この石碑は、高さ2.6メートル、幅1.06メートルあり、特に「三絶の碑」と呼ばれており、撰文は柴野栗山、篆額は頼春水、碑文は頼杏平で、これら三鴻儒が揃った碑は他に例を見ないものです。その上この建碑を斡旋した人が備後神辺の菅茶山であったことは、拙斎との間柄を示すものとして注目に値します。さらに碑文によれば、近隣よりの会葬者が2,000人にも及んだとあり、拙斎がいかに多くの人々の信望を集めていたかが察せられる貴重な碑です。

【所在地】浅口市鴨方町鴨方362
【ゆかりの人物】西山拙斎

【Googlemap】
Googlemapを開く

金光教本部

Konkokyo honbu

赤沢文治は、神様からの頼みを受けて農業をやめ、明治16(1883)年に没するまで、自宅で、参拝者の願いを神様に届け、神様の教えを伝えていきました。その教えは、やがて各地に広まり、現在、文治が過ごした金光町大谷には、金光町の本部があります。

【所在地】浅口市金光町大谷320
【電話番号】086-542-3111(代表)
【開館時間】常時開放
※入館時間を確認のうえお越しください
【料金】無料
【ゆかりの人物】赤沢文治
【ホームページアドレス】http://
www.konkokyo.or.jp/


【Googlemap】
Googlemapを開く

小野家庄屋跡

Onoke syoyaato

大谷村の庄屋であった小野家の屋敷跡です。12歳で大谷村の川手家に養子に入った文治は13歳、14歳の2年間、当時の当主、小野光右衛門から手習いを受けました。小野光右衛門は、天文、暦数などに秀でた学者で、政治家としてもすぐれた人物でした。

【所在地】浅口市金光町大谷1635
【開館時間】未定
【料金】無料
【ゆかりの人物】赤沢文治
【映像資料】浅口の奇才 小野光右衛門

【Googlemap】
Googlemapを開く

立教聖場

Rikkyo seijo

現在の建物は昭和8(1933)年に復元されたものですが、もとの建物は、農業を営んでいた頃の赤沢文治が37歳の時に建てた母屋です。文治は、安政6(1859)年に神様の頼みを受けて農業をやめ、自宅であったこの建物で、神様の教えを伝えていきました。

【所在地】浅口市金光町大谷(金光教本部境内)
【電話番号】086-542-3111
【開館時間】4:30~18:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【料金】無料
【ゆかりの人物】赤沢文治
【ホームページアドレス】http://
www.konkokyo.or.jp/


【Googlemap】
Googlemapを開く

金光教祖ご生家

Konkokyo goseika

赤沢文治(金光教祖)は、文化11(1814)年8月16日(新9月29日)に、香取十平、しもの二男として生まれ、12歳で養子に出るまで、生家で過ごしました。生家は文治の長兄が継承し、現在もその子孫にあたる方が生活しています。

【所在地】浅口市金光町占見646
【電話番号】0865-42-2177
【開館時間】不定
【休館日】不定
【料金】無料
【ゆかりの人物】赤沢文治

【Googlemap】
Googlemapを開く

洞松寺

Doshoji

精神統一、座禅体験ができる禅寺。洞松寺は横谷に所在する曹洞宗の禅寺。応永19(1412)年に猿掛城主庄氏の帰依を受けた名僧が再興し、室町時代から江戸時代にかけて寺勢を極めました。本堂や山門をはじめとした建物群は、禅宗寺院の典型的な伽藍配置の様相を呈し、町内最大の山門は矢掛町指定重要文化財で、その他の建物群は平成23(2011)年に国の有形登録文化財に指定されました。また、このお寺では一般の人も希望すれば無料で座禅に参加できます(事前に問い合わせください。)

【所在地】小田郡矢掛町横谷3796
【電話番号】086-682-0087
【ゆかりの人物】赤松月船

【Googlemap】
Googlemapを開く

嵐山公園(石井直樹歌碑)

Arashiyama koen (ishiinaoki kahi)

小田川を眼下に望み、矢掛の町並みが一望できる嵐山公園。市街中心部の南に位置し、桜と楓の生い繁る高さ約100mほどの山頂に広がっています。山腹にはジグザグとした遊歩道が設けられていて、春は桜、秋には紅葉を楽しむことができます。特に桜のお花見スポットとして地元では有名。夜には、美しい夜桜が堪能できます。

【所在地】小田郡矢掛町里山田1022-1
【ゆかりの人物】石井直三郎

【Googlemap】
Googlemapを開く

旧野﨑浜灯明台

Kyunozakihama toumyodai

この建築は日本式木造灯明台で、野浜と赤崎浜境の入江の埠頭にあり、文久3年(1863)に塩釜明神の御神燈として、また、浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられました。この地は野崎武左衛門が創始した塩田地帯の東端に当たり、かつては野崎浜と呼ばれ、塩の積出しをする船着場になっていました。こうした木造高灯籠形式のものは全国的にも少なく、西洋式灯台に変わる以前の灯台を知ることができる資料として、貴重な遺構となっています。

【ゆかりの人物】野﨑武左衛門
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5414.htm


【Googlemap】
Googlemapを開く

野﨑家塩業歴史館

Nozakike engyo rekishikan

江戸時代に塩づくりで成功した野﨑武左衛門が天保4年頃から建てた民家です。約3000坪の敷地には、枯山水の庭園、長さ42mの建物、蔵、茶室、水琴窟があり、国の重要文化財に指定されています。蔵の中などで、昔と今の塩づくりが学べたり、昔の生活道具などが見学できます。予約すれば塩づくり体験もできます。

【所在地】倉敷市児島味野1-11-19
【電話番号】086-472-2001
【開館時間】9:00~16:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)・12月25日~1月1日
【料金】小・中学生 300円
大人(高校生以上) 500円
土・日・祝は高校生以下無料
【ゆかりの人物】野﨑武左衛門
【ホームページアドレス】http://
www.nozakike.or.jp/


【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷考古館

Kurashiki kokokan

江戸後期に建築された商家の土蔵を改装して開館しました。吉備地方の出土品を中心とした日本の考古資料を収集、展示しています。考古学の調査、研究においても役立っています。また柳並木に生える考古館は美観地区の代表的な景観です。

【所在地】倉敷市中央1-3-13
【電話番号】086-422-1542
【開館時間】3~11月 9:00~17:00(入館は16:30まで)
12~2月 9:00~16:30(入館は16:00まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・火曜日(祝日開館)・12月29日~1月2日
【料金】小・中学生 200円・大人 400円
(いきいきパスポート利用の場合は付き添い2名まで一人250円)
【ゆかりの人物】大原總一郎

【Googlemap】
Googlemapを開く

旧大原家住宅

Kyuoharake jutaku

倉敷町屋の代表的なものとして国の重要文化財に指定されています。寛政7(1795)年に主屋の建築が着工され、その後座敷部分が増築され、 その先には広い庭が続いています。主屋は本瓦葺、厨子二階建てで、屋根は一見入母屋造に見えますが、実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓、倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。蔵は土蔵造りで、外壁は腰に瓦を張りつけ、目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ、そのコントラストは非常に美しく、倉敷の町並みの景観を特徴づけています。

【ゆかりの人物】大原總一郎大原孫三郎
【映像資料】倉敷の礎を築いた 大原孫三郎
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5391.htm


【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷紡績記念館

Kurashikibouseki kinenkan

倉敷紡績創業の明治21(1888)年に、原綿貯蔵用の倉庫として建てられたものです。当初は2棟別々の建物でしたが、明治30年前後の工場増設の際に棟続きに増築され、現在のコの字型平面形になりました。木造煉瓦造の平屋建物で、屋根は寄棟桟瓦葺です。外壁は白漆喰塗で仕上げられており、和風の外観になっていますが、内部はトラス組の小屋組など、西洋の技術が取り入れられています。昭和44年、観光文化施設「倉敷アイビースクエア」を構成する建物の一つとして改装されました。倉敷紡績の歴史を伝える展示施設に生まれ変わり、現在に至っています。

【所在地】倉敷市本町7-1
【電話番号】086-422-0011
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:45まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【料金】学生500・大人700円
【ゆかりの人物】大原總一郎大原孫三郎
【映像資料】倉敷の礎を築いた 大原孫三郎
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5589.htm


【Googlemap】
Googlemapを開く

下道氏墓

Shimotsumichinoshi no haka

古代の英傑・吉備真備公ゆかりの地。下道氏の墓は矢掛町東三成に所在する国指定の史跡(指定年月日:1923(大正12).3.7)です。元禄12(1699)年に東三成地内の丘陵地から吉備真備の祖母を火葬にし、その遺骨を納めた銅製骨蔵器が発見され、この地が下道氏の墳墓であることが判明しました。下道氏とは古代における吉備地方の豪族で、『古事記』や『日本書紀』にその名がみえ、「朝臣」の姓を中央から与えられた全国の52氏のうちの1氏でした。元来は大和王権の「西道」をおさえる吉備の権勢とされていたと考えられています。 下道氏の墓が発見されたことやその他の遺跡や遺物の痕跡から、この一族が高梁川下流西岸の新本川・小田川の流域を中心に活躍した一族であることが分かりました。また、下道氏出身の学者であり、政治家でもあった真備とその子孫が吉備朝臣として中央貴族になることは著名な歴史的事実です。さて、下道氏の墓からは銅製骨蔵器の他、納骨器や和同開珎などが発見されました。火葬をはじめてから、一定の敷地を定めて一族の人々を埋葬する今日の墓地形式が、奈良時代初期から始まったことを示す貴重な例です。また、近年の調査で銅製骨蔵器を覆っていた外容器が須恵質の大甕であったことが再度確認されました。当時の埋葬の風習を知る手がかりとして重要な役割を示すとともに、銅製骨蔵器に和銅元(708)年の銘がはいっていることから外容器の形の年代を特定でき、土器編年を考慮するうえでも貴重な考古資料といえます。

【所在地】小田郡矢掛町東三成3803-4
【ゆかりの人物】吉備真備

【Googlemap】
Googlemapを開く

三島中洲生家跡

Mishima chusyu seikaato

二松学舎大学の創設者である三島中洲の誕生地に、思想功績を知ってみらいたい創設者の誕生地として後生に伝えようと、昭和59年に二松学舎大学が石碑をたてました。

【所在地】倉敷市中島676-24
【ゆかりの人物】三島中洲

【Googlemap】
Googlemapを開く

旧倉敷天文台スライディングルーフ観測室

Kyukurashiki tenmondai slidingroof kansokushitsu

この旧倉敷天文台スライディングルーフ観測室は、大正15(1926)年に原澄治(倉敷市名誉市民)の資力と京都帝国大学教授山本一清の支援により、日本最初の民間天文台として建てられたもので、内部には当時、我が国では最大級となる英国ホルランド社製の口径32cmの天体望遠鏡(倉敷市指定重要文化財)が設置されました。本田實(倉敷市名誉市民)も、この観測室で星の観測を行いました。科学史上においても貴重な建物であることから、平成13(2001)年8月28日に国の登録有形文化財に登録され、本田實生誕100年となる平成25(2013)年に、この観測室を公益財団法人倉敷天文台から譲り受け、創立当時に近い姿で、それまであった中央二丁目19-10から、ライフパーク倉敷に移築・復元を行いました。

【所在地】倉敷市福田町古新田940
【電話番号】086-454-0300(倉敷科学センター)
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
【料金】無料
【ゆかりの人物】本田實
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5597.htm


【Googlemap】
Googlemapを開く

原澄治・本田實記念館

Harasumiji・Hondaminolu kinenkan

倉敷天文台は大正15(1926)年、元倉敷町長である原澄治が「広く一般的に天文知識を普及するため」に創設した日本で一番古い民間の天文台です。本田實は、この天文台に在任中数多くの「新しい星」「新しい彗星」を発見しました。倉敷天文台の歴史と本田實の研究・功績を紹介した記念館で倉敷天文台と同じ敷地内にあります。

【所在地】倉敷市中央町2-19-10
【電話番号】086-422-4589
【開館時間】月・水・金13:00~17:00(原則)
※入館時間を確認のうえお越しください
【料金】無料
【交通】JR倉敷駅から徒歩15分
【ゆかりの人物】本田實

【Googlemap】
Googlemapを開く

円通寺

Entsuji

寺伝によると、奈良時代に行基によって開基されたとつたえられています。その後、本元禄11(1698)年に徳翁良高禅師によって再興された曹同宗寺院で、代々の住職には名僧多く、特に第十世大忍国仙和尚の代、若き日の良寛和尚が十数年 修行された禅寺として全国に広く知られています。石組の庭と葦屋根の荘重な伽藍が配置された境内や隣接する円通寺公園では、桜をはじめ四季折々の花々を楽しむことができます。また、良寛の石像や多くの詩碑・歌碑があります。

【所在地】倉敷市玉島柏島451
【電話番号】086-522-2444
【ゆかりの人物】良寛

【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷市大野昭和斎記念資料館

Kurashikishi oonosyowasai kinenkan

木工芸の人間国宝 大野昭和斎が晩年の10 年余りを過ごした旧宅に作品や愛用の品々を展示しています。館内の展示ケースには、玉椿杢目沈金香盒(たまつばきもくめちんきんこうごう)や蔦杢目沈金香盒(つたもくめちんきんこうごうなど6点が展示されています。

【所在地】倉敷市西阿知町1144-12
【電話番号】086-466-2533
【開館時間】9:00~16:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月~金曜日(祝日以外)・年末年始
【料金】無料
【ゆかりの人物】大野昭和斎
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/9532.htm


【Googlemap】
Googlemapを開く

安原備中守供養塔

Yasuhara bichunokami Kuyoto

石見銀山開発の功労者である安原備中守の供養塔です。早島町塩津の出身だった備中はこの功績によって徳川家康から胴服と扇子を賜わりました。備中守の徳を伝えるために、その子孫が寛永12年に建立したとされる供養塔。

【所在地】都窪郡早島町早島124
【ゆかりの人物】安原備中守
【映像資料】石見銀山を再興した安原伝兵衛
【ホームページアドレス】http://
www.town.hayashima.lg.jp/kankoucenter/meishoshokai/1454918737350.html


【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁基督協会

Takahashi kirisuto kyokai

高梁基督教会は明治15(1882)年4月に成立した。教会堂は明治22(1889)年9月に建てられ、現存する県内最古の教会堂で、プロテスタントとしては全国でも同志社のチャペルに次いで古い教会堂である。高梁で最初の擬洋風建物で、建物面積は231㎡、愛媛県今治市の吉田伊平により設計、施工された。木造、平屋建、切妻造、桟瓦葺、妻飾りに瓔珞(ようらく)様の板飾りをつけ、壁は下見板張り、ペンキ塗りである。ゴシック様式の窓は上げ下げ窓にし、上に三角形のあかり窓をつけている。基礎は布基礎、正面車寄二階は菱組天井・漆喰塗の軒蛇腹・フルーティングを持つトスカナ式風の二本柱が寄棟の屋根を支えている。鐘楼は県史跡指定の通知を記念し、昭和28(1953)年に旧札幌農学校の時計台を模して付け加えられたものである。実際の指定は昭和34(1959)年になる。県下初の女学校・順正女学校を創設した福西志計子や社会福祉事業家の留岡幸助らを育てた教会でもあります。

【所在地】高梁市柿木町
【電話番号】086-622-3311
【開館時間】8:30~17:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】日曜日の午前中は見学不可
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
【ゆかりの人物】福西志計子留岡幸助
【映像資料】社会福祉の先駆者 留岡幸助

【Googlemap】
Googlemapを開く

福地のツバキ

Shilochi no tsubaki

樹齢は約400年と推定され、目通りは2.3m、樹高は10m、県下の現存ツバキの中でも古い部類に属する。所有者の西林家は、備中神楽(国指定重要無形民俗文化財)の創始といわれている西林要人、号は國橋の生家である。この西林邸では、現在も7年ごとに大神楽が舞納されており、邸前の大ツバキも神楽のツバキとして土地の人々から敬意の念をもってみられている。

【所在地】高梁市落合町福地3084
【ゆかりの人物】西林國橋

【Googlemap】
Googlemapを開く

児島虎次郎記念館

Kojimatorajiro kinenkan

倉敷アイビースクエア内にある大原美術館の別館で、児島虎次郎室では、大原コレクションに活躍した画家・児島虎次郎の作品を、オリエント室では、児島が収集した古代エジプト美術などを中心にオリエント美術品を展示しています。倉敷紡績の倉庫を改装し、展示室として開館されました。

【所在地】倉敷市本町7-1
【電話番号】086-422-0005
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎週月曜日(祝日は開館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中・高 500円
大人 1300円
【ゆかりの人物】児島虎次郎
【ホームページアドレス】http://
www.ohara.or.jp/201001/jp/index.html


【Googlemap】
Googlemapを開く

千屋牛資料館

Chiyaushi shiryokan

千屋牛の里ゆうゆうセンター内の「和牛レストランふゆさと」に隣接した資料館。裏には千屋牛を飼っている小屋(この施設とは無関係)があります。千屋牛の歴史や、太田辰五郎の肖像画等を観ることができます。

【所在地】新見市千屋実1428-1
【電話番号】086-777-2635
【開館時間】11:00~15:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎週火曜日、水曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
【ゆかりの人物】太田辰五郎

【Googlemap】
Googlemapを開く

雲居寺

Ungoji

新見藩と関係が深く、藩主である関氏一族(藩主の墓碑は新見の西来寺と東京都港区の瑞聖寺)や家臣、丸川松隠(漢学者)などの墓碑が建立されています。

【所在地】新見市新見2348
【ゆかりの人物】丸川松隠
【映像資料】山田方谷も師事した儒学者 丸川松隠

【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁川流域MAP

Takahashi river map

吉備真備公園

Kibi mabikoen

小田川流域の矢掛町から倉敷市真備町にわたる一帯は古来より吉備真備(きびのまび)ゆかりの地として知られている。矢掛町では真備公の遺徳を偲んで、昭和63(1988)年、吉備公館址に隣接する丘に吉備真備公園を新たに整備した。吉備真備は、高梁川以西を拠点とした下道氏(しもつみちし)の出自で、奈良時代(約1300年前)に活躍した歴史上実在の人物。下道氏とは古代豪族吉備一族の中で最も栄えた氏族で、公園西方の丘陵地から真備の父である下道関勝(しもつみちのくにかつ)の母の遺骨を納めた骨蔵器(こつぞうき)が発見され、この地が下道氏の墓所であることが明らかになった。公園周辺には、吉備真備の産湯(うぶゆ)の井戸などがいい伝えられ、また、真備が唐の都から持ち帰った文物の一つである囲碁に因み、この地を「囲碁発祥の地」として顕彰している。この公園は地元町民の協力で美しく保たれ、平成19(2007)年には日本の歴史公園100選にも選ばれている。また、公園の一画には、美味しいうどんが食べられる館祉亭もある。ぜひ散策にお越し願いたい。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.22
【ゆかりの人物】吉備真備
【Googlemap】
Googlemapを開く

かもがた町家公園

Kamogata machiya koen

町家2棟、土蔵3棟を忠実に修復した江戸時代の歴史的建築物と伝統植物園を合わせもつ公園です。園内には県内で最も古い築後300年以上を誇る町家「旧高戸家住宅」(県指定重要文化財)があり、2006年に「日本の歴史公園100選」に認定されました。

【参考文献】流域パスポート
【所在地】浅口市鴨方町鴨方240
【電話番号】0865-45-8040
【開館時間】9:00~17:00(入館16:30まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎週月曜日(祝日は営業)、祝日の翌日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】一般 100円
小・中学生 50円
※特別展は別途設定
【Googlemap】
Googlemapを開く

やかげポケット水族館

Yakage poketto suizokukan

やかげポケット水族館は、平成13(2001)年にやかげ郷土美術館の一角にオープンした。高梁川の支流の一つである小田川等に生息する淡水魚を大小12基の水槽に展示している。小田川の本流を模して造られた大きなパノラマ水槽では、鯉やフナなどがゆったりと泳ぐ、様子を観察することができ、小さい水槽には絶滅危慎種に指定されているスイゲンゼ二タナゴをはじめとする貴重な魚も展示されている。近年、水質の悪化や環境破壊により、身近に観察することができなくなった魚を自の前で見ることができるということで、近隣の小学生や親子連れ、淡水魚の愛好家などが頻繁に訪れている(水族館のみの見学は無料)。また、この水族館は、県立矢掛高等学校の生徒がボランティアで水槽の清掃や水替え、魚の補給等の管理に当たっており、次世代を担う若者たちが、環境について学ぶ大切な場にもなっている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.6
【Googlemap】
Googlemapを開く

宇内ホタル公園

Unai hotaru koen

矢掛町の宇内地区では、毎年初夏(6月上旬)にホタルが乱舞する。この時期に合わせて、「宇内ホタル観賞旬間」が設けられ、毎年岡山県内外から多くの観光客が訪れている。宇内地区は首からゲンジボタルの群生息地として知られていたが、昭和50年代から農薬の使用や家庭雑排水の河川への流入などにより、ホタルが減少傾向になった。このため、地元住民が、昔から親しまれてきたホタルを守り育てるため、昭和59(1984)年3月に自治会、消防団、婦人会、子ども会等で構成する「宇内ホタルを守り育てる会」を結成し、保護育成の一環として、同年からホタルの養殖をスタートした。昭和60(1985)年には保護活動の拠点として星田川の清流沿いに「宇内ホタル公園」同63(1988)年には「ホタル養殖施設」が完成し、毎年10万匹の幼虫を放流している。また、環境保全活動として河JIの清掃も定期的に行われている。このような住民たちの努力により守り育てられているホタルは毎年多くの人を魅了している。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.5
【Googlemap】
Googlemapを開く

そうじゃ水辺の楽校

Soja mizube no gakko

水辺の楽校とは、国土交通省が子どもたちの水辺での遊びや、自然体験を豊かにしてもらおうという目的で進めているプロジェクトである。「そうじゃ水辺の楽校」は、平成13(2001)年1月にそのプロジェクトに登録され、約2年の歳月をかけて整備された。場所は総社大橋から下流約印刷までの間の高梁川右岸側の河川敷、広さは約35haで、水辺の楽校としては全国屈指の規模を誇る。中心は、ワンドと呼ばれる入り江のようなものや、カヌー用の水路とデッキ、遊水路、芝生広場、木橋などがある上流部である。カヌー水路は幅が約6mから10m、美しいS字曲線の約350mの距離で、たくさんの子どもたちが力ヌーを楽しんでいる。また、水辺の楽校内の約9割は元の自然がそのまま残り、総延長約5kmに及ぶ散策道の途中では、心なごむ景色を楽しむことができる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.5
【Googlemap】
Googlemapを開く

砂川公園

Sunagawa koen

温羅(うら)伝説の舞台でもある鬼城山の山裾を西から東南に流れる砂川に、自然を生かして整備された河川公園。もともと総社市の砂川周辺は、水と緑に恵まれた土地でそこに水や森に親しめる施設が平成7(1995)年に設けられた。橋や歩道を整え、バンガロー風の炊事棟やシャワー、トイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設もあり、幅広い世代に人気を得ている。特に、夏休みのシーズンなどには、公園内はキャンプやバーベキューなどを楽しむ人や、ウォータースライダーで無邪気に遊ぶ子どもたちでにぎわう。また、夏だけでなく、初夏にはショウブ、秋には公圏内にある観光柿園での柿狩りなど、どの季節でも自然変満喫することができ、四季を通じて楽しむことができる公園である。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.4
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁川とタンチョウ

Takahashigawa to Tancho

タンチョウは昔から長寿、幸福などの象徴として親しまれてきた国の特別天然記念物で、岡山県内では約300年前から後楽園で飼育されていた。また、タンチョウは総社市の花「れんげ」、市の木「もみじ」とともに、市の鳥に制定されており、総社市のシンボルとしても親しまれている。備中国分寺の北西、国民宿舎サンロード吉備路に隣接し、タンチョウの保護と繁殖を目的に整備された「きびじつるの里(写真①)では、四季折々の自然を楽しみながら間近で、その美しい姿を見ることができる。約3haの敷地内には学びの家(研修練)などの施設も整い、これまでに人工ふ化が行われてきた。なお、最近まで総社市内では、総社市下倉、槻地区の高梁川中洲の豊かな自然環境の中で10数年前から飼育、野外調査が行われていた(写真②)。これまで地域のボランティアなどの協力により、里山の自然とともに、タンチョウを保護する活動が続けられている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.23
【Googlemap】
Googlemapを開く

栄橋

Sakae bashi

栄橋は旧山陽道沿いにあり、昭和29(1954)年の町村合併前の矢掛町西町と小林村、川面村の境に位置し、橋の名の由来も一説にはここからきていると考えられている。栄橋は小田川・墨田川・美山川の3本の河川の合流地点にあり、自然堤防が発達した地形を利用して、江戸時代末期に木橋が架けられた。平常時には川の流水量が少なく、橋が架けられる以前は「高通徒渡(たかとおりかちわた)し」(高通は旧川面村の地名)と呼ばれ、人々は徒歩で)川を渡っていた。そのため、大水ともなれば川を渡ることができず、旧矢掛本陣石井家には、長州女中衆が川止めにあった記録が残されている。その後、常時通行できる木橋が明治・大正・昭和初期まで利用されていたが、洪水で度々流失したため、昭和14(1939)年に鉄筋のトラス橋の栄橋が架橋された。さらに小田川沿いの矢掛バイパスが同46(1971)年に開通する際には、新たな橋がこの路線沿いに設けられ、これが現在自動車の通行している新栄橋である。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.11
【Googlemap】
Googlemapを開く

方谷橋

Hokoku bashi

大正3(1914)年頃に高梁市本町から高梁市落合町近似を結ぶために高梁川にかけられた方谷橋を撮影。橋の名称は漢学者で備中松山藩士の山田方谷(1805~1877)に由来する。近似側には方谷林公園も設置されている。江戸時代、備中松山城下を流れる高梁川には橋が架けられていなかった。川を渡るためには舟を利用しており、方谷橋の位置に舟渡しがあったことが江戸時代の城下図で確認することができる。
大正3(1914)年に木造の橋が建造されたが、昭和9(1934)年の室戸台風来襲による水害で流出した。現在の方谷橋は昭和12(1937)年に完成したランガー形式のアーチ橋である。現存する戦前に造られたランガ一橋は全国で10基、そのうち、2基が高梁川で見ることができる(もう一つは高梁市川面町田井の田井橋)。高梁市内の近代化遺産の一つとしても評価を受けている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.11
【ゆかりの人物】山田方谷
【Googlemap】
Googlemapを開く

汐入川

Shioirigawa

汐入川は延宝7(l679)年に拓かれた前潟新田の悪水用の排水路として開削され、元禄11(1698)年に古川に変わる新しい船入川として改修整備された。汐入川は、沿線の広大な農地から悪水を排水し、湿田化を防ぐ重要な役割を果たしながら、倉敷川を経て早島と彦崎港を結ぶ運河として発達することとなる。起点にあたる舟本・弁才天にはそれぞれ船着場が整備され、年貢米や特産の畳表が盛んに積み出された。川の両岸は良質の藺(い)草の産地であり、西側の高須賀、早高、帯高は三高藺草として全国的に知られていた。晩春から初夏にかけて、麦の黄と濃緑の藺草が広がる中を、川岸のヨシを押し分けながら帆船が悠々と入ってくる様は、まるで活動写真の名場面を見るようであったと、明治に記された記録(「ある老人の思い出」佐藤悦太郎)はそう語っている。明治以降も、宇野線が開通するまで汐入川の運河としての役割は変わることはなく、金比羅や西大寺の会陽見物に出かける人もみなこの汐入川の船便を利用していたという。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.11
【Googlemap】
Googlemapを開く

玉島港橋付近

Tamashima minato bashi fukin

写真は、明治末期~大正半ばの「天神祭り」の光景。この祭りは神輿が船に乗せられ玉島湾の沖に行き、海上で神事を行うことに特徴がある(海上渡御祭)。伝説によれば天神祭りの縁起は、美濃部という寺子屋師匠が学問の神・菅原道真公を祀ったことに由来するといわれる。その天神様・道真公を祀る菅原神社は、写真奥の小山の羽黒神社の境内にある。祭りの日、神社で神奉式を行った後、神輿は船(御座船)に乗り海に出る。かつては羽黒神社の参道下から、幔幕、竹、しめ縄、提灯を飾った和船二隻を並べた御座船が神輿を乗せていた。その後、和船は発動機船に変わり、二隻の船は一隻になった。羽黒神社参道下の雁木(石階段)から人の力で行っていた神輿の上げ下ろしも、クレーンを使うようになった。また水門で締め切られため、今は200m下った公園前から神輿は海に出る。周囲の風景と棟式は変わったのかもしれないが、天神祭りは今も続いている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.10
【Googlemap】
Googlemapを開く

高瀬舟

Takase bune

高梁市内の下町西側の高梁川を上る高瀬舟を撮影したもの。舟前方の橋は方谷橋である。高梁川の舟運は、中世以来、備中国の南北をつなぐ交通手段であった。室町時代の天文年間(1532~1555)には河口から高梁(旧名は松山)までが整備され、その後、慶長年間(1596~1614)には新見市井高までが開通した。井高や高梁には米蔵や鉄蔵が置かれ、年貢米や鉄をはじめとする諸物資の輸送も盛んになり、瀬戸内の海運と連携して発展した。17世紀中期の備中松山藩主水谷勝隆(1597~1664)はさらに大規模な河川改修を行った。慶安4(1651)年までに段階的に改修が進み、新見まで達した。これにより、備北(岡山県北西部)の年貢米、鉄などの物資輸送が向上した。寛文11(1616)年、2代藩主水谷勝宗は新田開発に伴い、高梁川下流の船穂村(倉敷市船穂町)から玉島港を結ぷ長さ約9kmの「高瀬通し」を整備し、延宝年間(1673~1680)に完成して、高梁川河川交通の飛躍的発展が見られた。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.10
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠神の文字岩

Kasagami no mojiiwa

笠神の文字岩は徳治2(1307)年に成羽川の笠神の龍頭の瀬を中心に、上下10ヵ所を掘削した船路開削工事の記念碑。国指定史跡。日本の水運開発史上最古の石碑として知られる。この工事は、地元の四郎兵衛などが発起人となり、成羽善養寺の僧尊海が大勧進の役をつとめ、諸方に勧進し、さらに善養寺の本山奈良の西大寺がこれを援助し、奉行に僧実専をあてた。石切大工は奈良の東大寺の再建にあたって宋から招かれた伊一族の伊行経であったことが判明している。いわば当時最先端の技術がこの開削工事に用いられている。行経の仕事には高梁市有漢町の保月の六面石幢や板碑(いずれも重要文化財)が知られている。490年後の、寛政9(1797)年、美作久世代官早川正紀が巡察の時にこの地を訪れ、銘文に対し歌を詠み、傍らの岩に刻ませている。昭和43(1968)年、文字岩は新成羽川ダム完成に伴い湖水の中に沈み、現在は湖畔に実物大の模型(写真右)を設置し、石碑を偲ぶことができる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.9
【Googlemap】
Googlemapを開く

湛井堰(高梁川合同堰)

Tataizeki (takahashigawa godo zeki)

総社市井尻野に位置する湛井堰(高梁川合同堰)は、それまでの湛井纏と上原井領堰(かんばらいりょうぜき)の合同堰として昭和40(1965)年に完成したものでここから引いた水は、十二箇郷用水(じゅうにかごうようすい)、上原井領用水、高梁川東西用水を流れ、約1万2千haの農地を灌漑している。湛井堰の起源は古く、平安時代にまでさかのぼるといわれている。平安時代の終わりごろ、妹尾郷(現在の岡山市南区妹尾)の荘園領主、妹尾兼康(かねやす)によって築かれたと伝えられる。湛井堰から取り入れられた高梁川の水はまず総社市をはじめ、岡山市、倉敷市に及ぶ広い範囲を流れる十二箇郷用水に取り入れられたため、高梁川西部や下流の地域ではしばしば水不足に悩まされ、水をめぐっての争いがたえなかった。しかし、この合同堰の完成と用水路の改修により、それらの問題も解決され、現在はより広い範囲の地域で農業に役立っている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.8
【Googlemap】
Googlemapを開く

淀平井堰

Yodo hirai zeki

淀平井堰は、現在の昭和橋のあたりより取水される用水である。井原市井原町を縦断した後、七日市・出部・笹賀町でも用水として利用された。写真は大正末年頃のものといわれる。場所は現在昭和橋が架かっているあたりである。上流より下ってきた小田川の水を堰き止め、向かって左端に引水される様子が分かる。左下隅には大きな水門らしき設備の一部が見えている。水門側ヘ流れなかった水が再び小田川ヘ合流する地点で、2人の男性が魚釣りをしており、かたわらに魚籠(ぴく)が置かれている。ここから取水された水は、井森神社や丸田妙見の横を流れ、幾筋かに分岐しながら井原町の田畑だけでなく、七日市や出部ヘ流れ込んだ。現在、井原町では市街地化が進んだため水路の多くが暗渠となり、上部は歩道として整備された。また、水路の一部は、現在の井原小学校運動場を横断して流れている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.8
【Googlemap】
Googlemapを開く

宇戸川洪水

Udogawa kozui

宇戸川は、井原市芳井町吉井で小田川に合流する支流である。種・花滝から流れ出て宇戸川の谷底地域を下った後に、1km程の平たん地を流れ小田川と合流する。写真は、昭和9(1934)年9月20日~21日の室戸台風で被害を受けた合流地点手前の市街地辺りの様子である。台風が去った後も宇戸川の水量は増しており、道路には崩壊や亀裂がみえる。対岸に多くの人が集まり、手前に倒れた電信柱が写っている。こういったことから、人が集まっている地点に元は橋が架かっていたが流され、住宅地も浸水するなど大きな被害を受けたことがわかる。室戸台風の襲来に際しては、現在の「男川橋」が流され、消防組頭の今井三郎が殉職したといった記録がある。こういったことから、写真は合流地点手前から宇戸川を振り返り、「男川橋」があった辺りを中心に撮影したものだろう。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.8
【Googlemap】
Googlemapを開く

新橋

Shin bashi

備後の油木や備中北部から井原市を通過して笠岡市へ至る道は、昔から「笠岡往来」「東城往来」と呼ばれた交通の要路であった。この道が井原市井原町内で小田川を渡る箇所に架けられた橋が新橋である。新橋は、明治36(1903)年に架設されたが、後に洪水で流され、木橋の板面を丸太で作り、上を土で、ならした土橋となっていた。写真は、大正9(1920)年の大洪水により流出した新橋の様子である。川を挟んで手前が向町、対岸が新町であるが、新町側の橋脚が流れ、橋が落ちていた。対岸にも橋の上にも多くの人が集まっている。被害の状況を報告し合っているのだろうか。大正12(1923)年に架け替えられた新橋は以前より嵩上げされたトラス構造の鉄橋に生まれ変わった。橋名柱の揮毫は興譲館中学校長の山下秋堂である。渡橋式には多くの人々が参加した。対岸(向町)には山岡舞鶴楼の三階建ての建物が見える。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.8
【Googlemap】
Googlemapを開く

台風被害の様子

Taifu higai no yosu

昭和9(1934)年9月21日、日本に来襲した室戸台風によって堤防が決壊した高梁川と増水した紺屋川の様子を写したもの。室戸台風は高知県室戸岬から四国を経て、瀬戸内海、京阪神、北陸、東北に猛威を振いながら進み、大阪をはじめ各地に甚大な被害をもたらした。高梁では、備中広瀬駅付近で大きな被害が出たのをはじめ、中井町、高倉町、川面町、落合町、玉川町でも被害は甚大であった。高梁の市街地では記録的な雨量や堤防の決壊により家屋の76%以上が浸水した。高梁市内にある高梁川の橋梁で田井橋、方谷橋、落合橋、玉川橋はいずれも流された。写真(上)は紺屋川と伯備線が交差している場所で紺屋川に架かる橋を越えて増水している。人々が家屋の外に出て作業をしているところから、台風が去った直後の撮影かもしれない。現在、紺屋川河岸は石垣で整備され、桜の名所の紺屋川通りは「日本の道100選」にも選ばれている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.7
【Googlemap】
Googlemapを開く

用水分水樋門

Yosui bunsui suimon

大正14(1925)年に大改修を終えた高梁川は、かつて両岸に点在していた11の取水樋門を倉敷市酒津の取水樋門に統一した。当時の県知事の名を冠した「笠井堰」で高梁川本流から配水池ヘ農業用水を取り込み、分水樋門で現倉敷市、早島町の各地に用水を配分している。(写真左から)西岸用水、西部用水、南部用水、備前樋用水、倉敷用水と5つの用水に分水するのが、写真の分水樋門「東西用水酒津」である。当時の技術の粋を集めたこの樋門は、土木学会選奨土木遺産(2003年)、疎水百選(2006年)、近代化産業遺産(2008年)に選ぱれている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.7
【Googlemap】
Googlemapを開く

新成羽川ダム

Shin nariwagawa damu

昭和43(1968)年に完成した高梁川水系の成羽川上流に中国電力株式会社によって建設された新成羽川ダムの姿。新成羽川ダムは重力式アーチダムで最上流にある新成羽川ダム(高さ103m)をはじめ、重力式コンクリートダムの田原ダム(高さ41m)、その下流の黒鳥ダム(高さ15.5m)の3ダムの総称でもある。本来、水力発電専用のダムで、それぞれに新成羽川発電所(最大出力30万3千kW)、田原発電所(最大出力2万2千kW)、黒鳥発電所(最大出力2千kW)が稼動している。また、水島臨海工業地帯をはじめ、児島、笠岡地域への工業用水を供給する役割も持つ多目的ダムである。かつて水没地域には約100戸の世帯があり、和紙の製造と漆掻きの生業も営まれていたが、丹下哲夫氏は下流の倉敷市ヘ移住し、「備中和紙」(No.67)を制作している。新成羽川ダムの貯水によってできた人造湖は備中湖と呼ばれており、「笠神の文字岩」(No.33)も現在は水没して湖底にある。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.8
【Googlemap】
Googlemapを開く

用水配水池

Yosui haisui ike

酒津の配水池は、明治43(1910)年末から大正14(1925)年春までの高梁川大改修工事の一環として、改修後の農業用水の公平かつ効率的な配分のため造られた。配水池の北からは八ケ郷用水、南からは分水樋門を通じて西岸用水・西部用水・南部用水・備前樋用水・倉敷用水の5つの用水が分岐している。これらは現倉敷市、早島町の田畑を潤す貴重な役目を担っている。昭和30年代、この配水池は、春の花見時期には伯備線に臨時駅「酒津駅」ができるほどの桜の名所であり、夏は子どもたちの遊水池になり、また貸しボートが水面に浮かぶ憩いの場所であった、との思い出を語ってくれる人も多い。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.7
【Googlemap】
Googlemapを開く

用水取水桶門

Yosui shusui suimon

明治43(1910)年末から始まった高梁川の改修工事は、大正14(1925)年春に完成をみた。足掛け15年の大工事であった。新たに一本化された高梁川では、個々分立していた11の取水樋門(一の口樋、八ケ郷樋、倉敷樋、備前樋、龍の口樋、福田古新田樋、福田樋、片山樋、船穂一の口樋、船穂三の堰樋、弁才天一の口樋)を統一し、農業用水を公平に配分することを目的に、倉敷市酒津に笠井堰・取水樋門と配水池を造った。これに先駆け大正5(1916)年には、市町村(都窪郡中洲村、中庄村、庄村、豊洲村、茶屋町、早島町、倉敷町、大高村、帯江村、万寿村、菅生村、浅口郡河内村、連島町、船穂村、長尾村、玉島町富田村、児島郡福田村、粒江村)による「高梁川東西用水組合」が設立された。そして、同12(1923)年の新設樋の利用開始以降、現在に至るまで安定した農業用水を、かつての19町村である現倉敷市、早島町に供給している。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.7
【Googlemap】
Googlemapを開く

用水峻工記念碑

Yosui shunko kinenhi

明治43(1910)年末に始まった高梁川の大改修は、大正14(1925)年春に完成をみた。東西の高梁川を一本化することで治水対策とし、両岸で11に分かれていた取水樋門を倉敷市酒津の笠井堰・取水樋門、配水池に統ーすることで、農業用水の公平な配分を可能にした。高梁川の大改修と新しい水利施設の完成を祝う完工式は大正14(1925)年5月20日、配水池西の東西用水組合事務所前で盛大に開催された。式典には内務大臣や岡山県知事をはじめ600人が参加したが、これに先立ち東西用水組合は配水池の周辺に桜、楓、松など6千本あまりを植樹し、用水工事竣工記念碑を建てた。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.7
【Googlemap】
Googlemapを開く

仁科会館(科学振興仁科財団)

Nishina kaikan (kagaku shinkou nisina zaidan)

里庄町出身の世界的な物理学者である仁科芳雄博士を顕彰するために、当時の写真や手紙、そして実験装置の模型や展示パネルなどの資料を展示しています。また、次代を担う青少年に科学する心を育むために、科学講演会、ロボットコンテストなどの事業を展開しています。

【所在地】浅口郡里庄町浜中892-1
【電話番号】0865-64-4888
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎週月曜日及び第3日曜日、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】仁科芳雄
【映像資料】日本の原子物理学の父 仁科芳雄博士
【Googlemap】
Googlemapを開く

改修記念碑

Kaishu kinenhi

高梁川(松山川・大川ともいう)は、母なる川であると同時に、氾濫を繰り返す暴れ川でもあった。嘉永3(1850)年6月には大雨が続き東高梁川が氾濫、遠く茶屋町・早島町までが六尺(約l80cm)も水没するという大災害となった。当時の高梁川が度々氾濫を起こす理由としては、酒津あたりで東高梁川と西高梁川の2本に分かれていたこと、上流部の砂鉄採取のためのカンナ流しにより土砂が堆積して天井川化していたこと、などである。繰り返す水害に悩む下流部の住民にとって高梁川の治水は悲願であった。明治13(1880)年7月の大水害の後には窪屋・浅口・賀陽・下道各郡内の有志が民間自力改修のための運動を起こし、岡山県は同19(1886)年9月の水害の後、川の流量を調整する工事を行った。しかし、これらは大きな効果をあげることはできず根本的な解決は、内務省による同40(1907)年春の高梁川改修の基本計画、同43(1910)年末の工事着手まで待たねばならなかった。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.7
【Googlemap】
Googlemapを開く

鑵子の弦

Choshi no gen

倉敷市酒津から相ざし清音黒田にかけての高橋川沿いの道は、かつて「鑵子(かんす)の弦」と呼ばれる断崖絶壁の難所であった。鑵子とは湯釜や茶釜のことで、弦は釜を吊るすつるのこと。眼下に急流を見る、細く曲がりくねって見通しの悪い道を称したのであろう。この道が地元篤志家により整備され、車馬の通行が容易になったのは、明治7(1874)年頃とされる。現在は主要道の一つ、県道24号線となっている。古写真にはすでに伯備線の軌道が見える。伯備線の倉敷駅から宍粟駅(現・豪渓駅)が開通したのは、大正14(1925)年のこと。伯備線はこれに前後して延伸整備され、昭和3(1928)年に全線が開通した。こうした道路の整備や鉄道網の発達は、物流の形態を大きく変えることになり、江戸初期以降、備中の物流を支えた高瀬舟は次第にその姿を決していった。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.6
【Googlemap】
Googlemapを開く

仁科芳雄博士生家

Nishina yosio hakase seika

仁科芳雄博士が高等小学校を卒業するまで過ごした屋敷です。岡山県南に見られる江戸後期の庄屋建築の特長をよく残しています。昭和53年、仁科博士の長兄の子孫から生家の土地屋敷を一括譲り受け、解体修復し、一般に公開しています。

【所在地】浅口郡里庄町浜中717
【電話番号】0865-64-4528
【開館時間】10:00~15:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日~土曜日、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.kagaku.nishina.town.satosho.okayama.jp/seika.html

【ゆかりの人物】仁科芳雄
【映像資料】日本の原子物理学の父 仁科芳雄博士
【Googlemap】
Googlemapを開く

里庄町歴史民俗資料館

Satosyoumachi rekishi minzoku shiryokan

暮らしの中で伝承されてきた生活用具・民具をはじめ、土師器の系統を継ぐ素朴な素焼き“大原焼き”、“麦稈真田”などが展示されています。また、世界的な物理学者である仁科芳雄博士や鉄道大臣などを歴任した小川郷太郎先生の遺品も一同に展示しています。

【所在地】浅口郡里庄町新庄2405
【電話番号】0865-64-5465
【開館時間】 9:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎月第1・第3日曜日のみ開館
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.town.satosho.okayama.jp/75/77.html

【ゆかりの人物】仁科芳雄小川郷太郎
【映像資料】日本の原子物理学の父 仁科芳雄博士
【Googlemap】
Googlemapを開く

総社吉備路文化館

Soja kibizi bunka kan

平成26年4月に開館。文化勲章を受章された、かな書家の高木聖鶴氏の作品を展示した常設展示室、周辺の歴史遺産を解説するガイダンスコーナー、一般利用も可能な展示室があります。展示室では、随時収蔵品を中心とした企画展を実施しています。

【所在地】総社市上林1252
【電話番号】0866-93-2219
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.city.soja.okayama.jp/bunka/bunka_sport/hakubutu/soja_kibiji_bunkakan.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

きびじつるの里

Kibizi tsuru no sato

タンチョウの保護と繁殖を目的にした施設です。国民宿舎サンロード吉備路に隣接しています。野外飼育場やタンチョウについて学べる学びの家(研修棟)などがあります。四季折々の自然を楽しみながら、美しいタンチョウの姿を見ることができます。

【所在地】総社市三須825-1
【電話番号】0866-90-2431
【開館時間】8:30~17:15(受付は17:00まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www2.kct.ne.jp/~turu/

【Googlemap】
Googlemapを開く

山手郷土館

Yamate kyodo kan

山手郷土館は、江戸時代末期に建てられた建物を活用して、江戸時代から昭和へと移り変わっていく生活品を主に展示しています。もともとは種油業を営んだ商家として、旧山陽道に面した母屋と、その奥に庭と平屋、そして土蔵2棟と納屋があります。母屋1階の格子や2階の虫かご窓など、当時の風情が残されています。

【所在地】総社市岡谷148-1
【電話番号】0866-93-1241(山手公民館)
【開館時間】9:00~17:00(事前の予約が必要です)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】【Googlemap】
Googlemapを開く

埋蔵文化財学習の館

Maizo bunkazai gakusyu no yakata

埋蔵文化財学習の館では、総社市内で出土した考古遺物(地中に残された昔の人が使っていたさまざまな道具)を保管し、その一部を展示公開しています。展示室では、遺物のほか、鬼ノ城や古代の製鉄遺跡の模型なども見ることができます。

【所在地】総社市南溝手265-3
【電話番号】0866-93-8071
【開館時間】9:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】土曜、日曜、祝日、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】
http://www.city.soja.okayama.jp/bunka/bunka_sport/hakubutu/maizou_yakata.html
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁川

Takahashigawa

現在の酒津・清音古地あたりで東西2本に分かれていたかつての高梁川は、氾濫を繰り返す暴れ川であった。明治前半だけでも、同2年、13年、19年、25年と大きな水害が相次ぎ、明治26(1893)年には台風による水害のため、死者のみでも309人を数える大災害となった。こうした水害の原因の一つは、大量の土砂が川床に堆積しているためであり、その土砂は上流部で行われていた砂鉄採取(力ンナ流し)による山を崩した土砂であった。土砂の堆積により天井川化した高梁川の治水対策は、河川の改修によるしかなかったのである。東西2本の高梁川を一本化するという大工事は、明治43(1910)年末から始まり、大正14(1925)年春に完成をみた。この大改修以降、高梁川の下流部では室戸台風を除き、大規模な水害はほとんど起こっていない。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.6
【Googlemap】
Googlemapを開く

東高梁川跡

Higashi takahashigawa ato

明治末まで高梁川は酒津付近で東西2本に分かれて瀬戸内海に注いでいた。治水・取水のため、明治43(1910)年末から着工された高梁川の大改修工事は、東高梁川を消滅させ、西高梁川の一部を締め切って柳井原貯水池を造り、なおかつ川を西高梁川に一本化するという壮大な工事であった。この改修工事は、第一次世界大戦による諸物価の高騰や改修計画の変更等で予定を大幅に遅らせることとなった。そして、改修工事が完成したのは大正14(1925)年春のことで、当初474万円余りだった工事費は、792万円余りに増大していた。かつての東高梁川は、改修工事により新しい高梁川が酒津八幡山の南を回って流れ始めた大正12(1923)年1月で事実上廃川となった。同15(1926)年7月には内務省が「公用廃止」を告示して東高梁川は廃川地となった。昭和16(1941)年には、旧河口付近に三菱重工の航空機工場が設けられ、今日の水島工業地帯の先駆けとなった。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.6
【Googlemap】
Googlemapを開く

鬼城山ビジターセンター

Kinozyouzan bizita senta

古代山城の鬼ノ城のガイダンス施設で、城全体や西門の模型、説明パネルを展示しています。また、鬼城山周辺の恵まれた自然と歴史とのふれあいと、文化財保護と自然学習を進めるための拠点施設でもあります。

【所在地】総社市黒尾1101-2
【電話番号】0866-99-8566
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.city.soja.okayama.jp/bunka/bunka_sport/hakubutu/kinojouzan_vc.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

ベンガラ館

Bengarakan

吹屋地区がベンガラの製造・販売で繁盛していた頃の町の様子やベンガラの製造工程などを知ることができます。

【所在地】高梁市成羽町吹屋86
【電話番号】0866-29-2222
【開館時間】4月~11月 9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月29日~12月31日

※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人200円・小人100円
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷民芸館

Kurashiki Mingeikan

倉敷の代表的な米倉を改装した建物です。館内には日本の民芸品を中心に世界の民芸品、焼き物、染め織物、ガラス、かごなど約800点を陳列しています。それらは、日常生活の中でなに気なく使われている日用品が素朴で健康的な美しさをもつことを教えてくれます。

【所在地】岡山県倉敷市中央1-4-11
【電話番号】086-422-1637
【開館時間】3月~11月9:00~17:00(入館は16:45まで)
12月~2月9:00~16:15(入館は16:00まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日開館)
12月29日~1月2日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中学生300円
大人700円(いきいきパスポート利用の場合は付き添い2名まで一人400円)
※特別展は別途設定
【交通】JR倉敷駅から徒歩15分
【ホームページアドレス】http://kurashiki-mingeikan.com/
【Googlemap】
Googlemapを開く

里庄美しい森

Satosho utsukushii mori

岡山県では10力所に、それぞれの地域にあったモデル的な「美しい森」を整備しており、その一つが平成8(1996)年にオープンした「里庄美しい森」。平成21(2009)年4月に県から里庄町に移管された後、諸施設が改修され利便性が向上した。里庄美しい森は、虚空蔵山(標高270m)から北に広がる森林を整備したもので五つの池を含む約17haもの広大な公園内には、野鳥観察小屋をはじめ、遊歩道、多目的広場、彫刻の森や冒険の森がある。また、近くまで車で行けるキャンプ場は13サイトで、炊事棟もあり、自然の中で野外生活の楽しさを体験できる。拠点、施設のビジターセンターは、木造2階建て延べ345㎡で宿泊室3室、20人が利用できるセミナー室、炊事室、シャワー室、水洗トイレなどが完備されている。年間利用客は約3,000人で森林の中で心の豊かさとゆとりやうるおい、やすらぎを感じている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.6
【Googlemap】
Googlemapを開く

大原美術館

Tamashima minato bashi fukin

昭和5年、大原孫三郎によって建てられた美術館で、エル・グレコ、モネ、ルノワール、マティス、ピカソなどの作品を本館に展示しています。ひときわ目を引くギリシャ神殿風の本館建物は倉敷美観地区の中心となっています。本館の他にも、日本の近代美術などを展示する分館、工芸・東洋館、また倉敷アイビースクエア構内の児島虎次郎記念館があります。

【所在地】岡山県倉敷市中央1-1-15
【電話番号】086-422-0005
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日開館) 12月28日~12月31日(夏休み、10月は月曜日も開館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中学生500円
大人1300円(いきいきパスポート利用の場合は付き添い2名まで一人1100円)
※特別展は別途設定
【交通】JR倉敷駅から徒歩15分
【ホームページアドレス】http://
www.ohara.or.jp/

【ゆかりの人物】満谷国四郎大原總一郎大原孫三郎
【映像資料】倉敷の礎を築いた 大原孫三郎
【Googlemap】
Googlemapを開く

井原富士

Ihara fuji

通称「井原富士」は、現井原市井原町の舞鶴山の別称。舞鶴山は、南北に細長く尾根が続いているが、北側の麓から眺めると左右対称になだらかなすそ野が広がることから「富士」の名がつけられた。近くには横手山城が築かれ、戦国時代には毛利氏旗下の武将が守ったが、江戸時代初めに廃城になったといわれる。写真②は麓の小田川河原の舞鶴公園辺りから井原富士を見上げた写真。この辺りから下流に向かって、小田川沿いには桜堤が広がっており、大正・昭和時代には井原の一大名所となっていた。手前に架かる橋は小田川にかかる新橋。当時の井原町の新町と向町を結び、行き交う人々で、賑わった。写真は、小田川を写した風景写真。写真②と一緒に写されたようだが具体的な場所は特定できない。小田川に土砂がかなり溜まり、水流が細くなっている様子がうかがえる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.5
【Googlemap】
Googlemapを開く

道祖渓

Dosokei

井原市西江原町才児(さいちご)の道祖渓は、全国的にも珍しい輝緑岩の台地が削られてできた渓谷である。幾つもの渓流と奇岩の間を流れる清流が、周囲の老木とあいまって映える景勝地である。現在も四季を通じて滝水が枯れることはない。「道祖渓」の名称がつけられたのは昭和初期である。渓谷近くには、高僧実峰良秀(じっぽうりょうしゅう)が嘉慶元(1387)年に聞いた永祥越寺があり、良秀の徳を慕って道祖渓の化身で、ある稚児が現れたとの伝説が残る。これによりこの地周辺は才児と命名されたといわれる。道祖漢は、昭和30(1955)年に県指定の名勝地となった。写真は、同10(1935)年に製造された「山陽ノ景勝中備道祖渓」の絵葉書の中の1枚で、「断魚の渓流」と呼ばれる滝を写したもの。絵葉書は10枚1組で、あったようで、他に「稚児滝ノ景」の絵葉書が残る。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.5
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡市井笠鉄道記念館

Kasaokashi Ikasa Tetsudo Kinenkan

昭和56(1981)年に、井笠鉄道株式会社によって設立された井笠鉄道記念館を,平成26(2014)年3月に笠岡市が引き継ぎ開館しました。旧新山駅舎を利用した展示室のほか,屋外には1号機関車,客車,貨物車などが展示されており,軽便鉄道の時代をしのぶことができます。

【所在地】笠岡市山口1458-7
【電話番号】0865-69-2155
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/ikasatetudou.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

鬼ヶ嶽

Onigadake

鬼が獄は、小田川の支流美川(みやまがわ)の鬼ケ岳ダムから上流4kmにわたる渓谷である。奇岩と渓流が織りなす自然景観を楽しめる景勝地で、植生はアカマツや広葉樹林を主として、早春に花咲くアテツマンサク、初夏のウンゼンツツジ、秋に紅葉するカエデなどが美しい。渓流にはゲンジボタルやカジカガエルが生息する。昭和3(1928)年に、上流にあるラジウムを含む鉱泉が「鬼ヶ獄温泉」として整備され、多くの文人たちが訪れた。大正10(1921)年初夏には若山牧水が、昭和4(1929)年秋には与謝野晶子が夫・鉄幹と娘・藤子と共にこの地を訪れた。西条八十も湯治客の一人であった。晶子は美山川の渓谷を鏡川と名付け「みやび男と たおやめのため 流れたる 宇土の渓間の 鏡川かな」という歌を残した。景勝地として知名度があがり、昭和5(1930)年に鬼ヶ獄は国の名勝地に指定された。鬼ヶ岳ダムができたため、現在は多くの渓流が川底に沈んでいる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.5
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡市立竹喬美術館

Kasaoka Shiritsu Tikkyo Bijutsukan

笠岡市出身の日本画家,小野竹喬(おのちっきょう)の偉大な業績を称え,その功績を永く後世に伝承するために,昭和57年(1982)年10月に開館しました。平成13(2001)年3月には新館が開館し,竹喬芸術の殿堂として,また岡山県南西部の中核となる美術館として,一層その重責を果たそうとしています。

【所在地】笠岡市六番町1-17
【電話番号】0865-63-3967
【開館時間】9:30~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館),国民の祝日の翌日,陳列替期間中
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中学生150円
高校生300円
一般500円(65歳以上無料)
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/site/museum/

【ゆかりの人物】小野竹喬
【映像資料】笠岡で生まれた日本画家 小野竹喬
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡市立郷土館

Kasaoka Shiritsu Kyodokan

市内の考古・民俗資料を展示しています。大飛島から出土した奈良三彩の小つぼ,和銅開珎(わどうかいちん),唐花文六花鏡,また笠岡湾干拓地の工事で発見された銅戈(どうか)などの資料は全国的にも非常に貴重です。

【所在地】笠岡市笠岡5628-10
【電話番号】0865-69-2155
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館),国民の祝日の翌日,陳列替期間中
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小中学生20円
一般50円(65歳以上無料)
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/28/kyodokan.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

阿藤伯海記念公園

Ato Hakumi Kinen Koen

昭和の偉大な漢詩人「阿藤伯海」を顕彰する公園です。修復した生家を中心に、吉備真備を顕彰した絶筆の詩碑を有する「記念広場」、古代の蓮として知られる大賀蓮が植わる「蓮池」、遙照山系を望み広く展望の開けた梅園「流芳の丘」を整備しています。

【所在地】浅口市鴨方町六条院東2385
【電話番号】0865-44-9255
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎週月曜日、火曜日、祝日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】一般 100円
小・中学生 50円
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】吉備真備阿藤伯海
【ホームページアドレス】http://
www.city.asakuchi.okayama.jp/shisetsu/bunshin/ato.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

芳井天神峡

Yoshii tenjin kyo

天神峡は、天神社・黒丸社の社叢を中心とした景勝地で小田川に添って約1kmにわたって広がっている。春は若葉や山桜が美しく、夏は渓流での水泳キャンプが楽しめる。特に秋の紅葉のすばらしさがよく知られている。京都の嵐山に似ていることから「小嵐峡」とも呼ばれる。天神峡の名称は、天神社に由来する。昭和31(1956)年より県指定の名勝地となった。また高梁川上流県立自然公園のーつである。現在の天神峡は、紅葉の美しさを引き立てる朱塗りの紅葉(もみじ)橋を一緒に収めたアングルがよく撮られており、橋は天神峡のシンボルとなっている。写真は昔の天神峡で、紅葉橋に架け替えられる前の天神橋が写っている。天神橋は木橋で、昭和2(1927)年に竣工した。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.5
【Googlemap】
Googlemapを開く

芳井歴史民俗資料館

Yoshii Rekishi Minzoku Shiryokan

旧芳井町内を中心に数多く残る歴史資料の保存・展示を行うほか、雪舟・阪谷朗廬・内山完造など井原市ゆかりの偉人をわかりやすく展示しています。また、年に1回開催される特別展と企画展では、井原市の人物や歴史などをテーマにユニークな展示を行っています。

【所在地】井原市芳井町吉井4110-1
【電話番号】0866-72-1324
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日・木曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】y-rekishi@city.ibara.okayama.jp
【ゆかりの人物】阪谷朗蘆馬越恭平内山完造
【Googlemap】
Googlemapを開く

豪渓

Gokei

名勝豪渓は高梁川に注ぐ樋谷(まきだに)川の上流にある渓谷。この渓谷には江戸時代末期、備前吉永出身の漢詩人で医者でもあった武元登々庵(たけもととうとうあん)書の「天柱」の二文字を刻んだ天柱峰をはじめとして、剣峰(けんがみね)、雲悌山(うんていやま)、盒子岩(えぼしいわ)などの花筒岩の切り立ったがけや石柱が槙谷川の渓流の両岸に林立している。これらの岩石美と清流、新緑紅葉の調和が壮大な自然美を創り出す景勝地で、特に秋の紅葉シーズンには、大勢の観光客でにぎわっている。また、昭和4(1929)年にここを訪れた与謝野晶子をはじめ、多くの画人、詩人らによってこれまでにその自然美が表現されている。大正12(1923)年には国の名勝地に指定された。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.4
【Googlemap】
Googlemapを開く

文化財センター 「古代まほろば館」

Bunkazai Center 「Kodai Mahoroba Kan」

井原市内の遺跡で出土した埋蔵文化財を中心とした常設展示のほか、テーマをもった企画展を開催し、文化財をわかりやすく紹介しています。また、さまざまな体験講座、文化財めぐりなどを開催し、井原市の歴史をわかりやすく学習できる施設です。

【所在地】井原市井原町333-1
【電話番号】0866-63-3144
【開館時間】9:00~16:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日又は振替休日のときはその翌日)
年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】mahoroba@city.ibara.okayama.jp
【Googlemap】
Googlemapを開く

田中美術館

Denchu Bijutsukan

井原市出身の近代彫刻界の巨匠・平櫛田中の作品を中心に田中との関係の深い日本美術院の作家や平櫛田中賞受賞作家の作品を展示しています。また、3階には、田中が数々の名作を作り出した東京上野桜木町のアトリエを再現し、当時のおもかげを偲ばせています。

【所在地】井原市井原町315
【電話番号】0866-62-8787
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日又は振替休日のときはその翌日)
年末年始
展示替え期間(特別展・企画展前後)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】一般:400円
小中高生及び65歳以上の高齢者、優待者:無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】dencyu@city.ibara.okayama.jp
【ゆかりの人物】平櫛田中
【映像資料】彫刻界の巨匠・平櫛田中
【Googlemap】
Googlemapを開く

弥高山・雲海

Yatakayama・Unkai

弥高山は、弥高い(いやたかい)という意昧から名付けられ、また山の姿から別名「飯山(いいのやま)」ともいう。吉備高原の西、広島県境に位置し、標高654m。他の山々よりひときわ高く、山頂からは360度のパノラマが開け、四季折々の吉備の山並みが見られる。霧やスモッグのかからないときには、北は伯雷(ほうき)大山、南は水島・福山の工業地帯から、はるか瀬戸の島々、四国の連山までもが眺望できる。生い立ちは、地質学でいう第4紀更新世までさかのぼる。更新世とは、ほ乳類が栄え、人類が出現して、氷期と間氷期を繰り返していた時代である。約17haの公園内には、それぞれの四季で楽しませてくれる自然がたくさんある。春には10万本のツツジが満開、梅雨時期にはアジサイが咲き誇る。夏には緑の中でキャンプやバーベキューができ、秋には紅葉・雲海が見ごろになり、冬には雪景色を見ることができる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.4
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁川河岸・下町西側

Takahashigawa kashi・Shitamachi nishigawa

昭和6・7(1931・32)年頃、高梁市下町西側を流れる高梁川の河岸の風景である。中世以来高梁川では、船を利用した輸送が行われていた。江戸時代前期の備中松山藩主水谷(みずのや)氏の時、大規模な高梁川航路の整備が行われ、高瀬船は高瀬通し・玉島港とともに備中国の重要な輸送手段として大いに利用された。高梁は「松山河岸(かし)」として重要な集積地となった。写真では河岸に石垣が築かれ、邸宅の土台と、その下に伸びる船頭道を見ることが出来る・かつては高瀬船が往来し、接岸した高瀬船から直接積荷を商家の蔵に搬入することができた。また、川の沖に向かって伸びる石組みは「猿尾」と呼ばれ、船着場とともに防波堤の役割も果たしていた。昭和3(1928)年、伯備線の全線開通とともに、高瀬船はその役割を完全に終えた。現在では、国道180号線の拡張により、写真で見られる往時の姿は失われ、堅固なコンクリート護岸に変貌している。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展
【Googlemap】
Googlemapを開く

やかげ郷土美術館

Yakage kyodo bijutsukan

歴史と文化の薫る町・矢掛は国指定重要文化財の本陣・脇本陣が旧姿をとどめ、その町並みと調和するように町屋風な美術館として、平成2年11月に開館しました。町木の赤松を使い太い梁を生かした伝統工法による建物は木の温もりを感じさせ、心和む空間となっています。

【開館時間】10:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、展示替え期間
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】一般 200円
中・高生 100円
小学生  50円
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.town.yakage.lg.jp/museum/

【ゆかりの人物】吉備真備田中塊堂
【映像資料】矢掛が生んだ「大字かな」の先駆者 田中塊堂
【Googlemap】
Googlemapを開く

羅生門

Rashomon

羅生門は新見市中心部から約9km南東に位置する草間地区にある。標高400m前後の草間台のドリーネにできた石灰岩の巨大なアーチで、第1門から第4門までアーチがつながり、末端は羅生門第1洞と呼ばれる吸い込み穴となる。成因は古い鍾乳洞が崩落し、一部分が残存してアーチとなった鍾乳洞の最後の姿である。夏に訪れるともやや冷気を感じることができ、まさに「羅生門」の名に相応しい光景を見ることができる。チョウジガマズミ・ヤマトレンギョウなどの石灰岩植物のみならず、洞口から吹き出す低温多湿な自然状態から、高山性や北方系の貴重な蘚苔類や地衣類が隔離分布している。蘚苔類では、サガリヒツジゴケ・イギイチョウゴケ・セイナンヒラゴケ、昆虫ではガロアムシなどの洞穴昆虫が生息しており、また7月初めになるとドリーネ内外で黄金色の光を点滅させるヒメボタルが見られる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.4
【Googlemap】
Googlemapを開く

満奇洞

Makido

満奇洞は新見市中心部から約9km東に位置する豊永赤馬地区にあり、阿哲台では最も早く開発された鍾乳洞で、昭和時代初期にはすでに他県にまで知られていた。洞穴は平面に発達した迷路に富む閉塞・断層裂か型の吐出(としゅつ)穴であり、総延長450m、最大幅25mである。最大のプールは夢の宮殿・竜宮と呼ばれ、無数のつらら石・カーテン・洞穴さんごが発達し見事な景観をもたらしている。プールの最大水深は約1mで、この水は洞内の炭釜・千枚目付近で地下に吸い込まれ、そのため洞口付近は流水がなく鍾乳石は乾燥し風化しつつある。鍾乳管(しょうにゅうかん)・つらら石・畦石(あぜいし)・カーテン・石筍(せきじゅん)・石柱が発達し、また小さな洞穴サンゴ曲石なども無数に存在しており、鍾乳石の宝庫とも呼ばれる。「満奇洞」の名は地名の「槇(まき)」にちなんで、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻が命名したものである。「まきの洞 夢にわが見る 世の如く 玉より成れる 殿づくりかな」(鉄幹)「満奇の洞 千畳敷の 蝋の火の あかりに見たる 顔を忘れじ」(晶子)

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.4
【Googlemap】
Googlemapを開く

井倉洞

Ikurado

井倉洞は新見市中心部から約6km南に位置する草間地区にあり、びょうぶ獄(ごく)の石灰岩の絶壁に開口する全長1200mの鍾乳洞で洞口は小さく高さ2m、幅2mである。井倉上の穴から吸い込まれた水の吐出穴がある。洞内は石灰岩の節理に沿う溶食作用の結果によりできた割れ目が発達し、洞穴(天然の石灰洞)は、前半部は南北方向に、後半部は北北東方向に延びている。洞内には、地軸の滝・音の滝など落差50mにも達する観光洞としては珍しい滝がある。顕著な二次生成物(せいせいぶつ)には、つらら石・流れ石・力―テン・石筍(せきじゅん)・石柱などがある。観光客の便のため、回遊式の人口洞が獅子穴まで通じている。県下の観光洞の中でも最も交通の便がよく、満奇洞・羅生門とともに新見市観光のシンボルとなっている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.3
【Googlemap】
Googlemapを開く

三室シャクナゲ

Mimuro shakunage

三室地区は新見市神郷町油野に位置し、三室ダムに隣接する。三室川沿いの峡谷には約1,000本のシャクナゲが群生しており、市指定重要文化財の天然記念物に指定されている。シャクナゲは高山植物で春から初夏にかけて開花する気品と風格がある花木であり、特に三室一帯に群生するものはツクシ系ホンシャクナゲと言われるものである。花は薄紅色をしており、花茎は4cm内外になり、5月上旬の開花時には実に壮観で油野川の渓谷の美しさとあいまって、辺りは一大桃源郷の観を呈する。またシャクナゲ最盛期の5月GW頃には、三室峡シャクナゲまつりが開催され、シャクナゲ観賞以外にも、ヤマメ魚つりや神郷太鼓、国指定重要無形文化財の備中神楽、餅投げなどのイベントや特産品販売が行われる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.3
【Googlemap】
Googlemapを開く

鳴滝

Narutaki

鳴滝は、千屋ダムに流れ込む別所川右岸に隣接する新見市菅生に位置し、岡山県備作山地県立自然公園特別地域にある。静かな日はおよそ2km離れた麓の集落まで大きな滝の音が聞こえることから「鳴滝」という名前が付けられた。この滝は、その昔、赤い着物を着た仙人が赤い牛を洗っていたという言い伝えから「牛洗(ぎゅうせん)の滝」とも呼ばれている。およそ30mの滝は三段になっていて、中国山地から流れる豊富な清流は、気にこの滝を落ちて地響きがするような音を周りにこだまさせている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.3
【Googlemap】
Googlemapを開く

剣山

Kenzan

標高962mの剣山は、岡山県新見市干屋と鳥取県日野市にまたがる県境の山である。高さは小ぶりだが形がよい。美しい三角錐の山から流れる水が高梁川の源流の一つで、やがて時には激しく、時には悠々と瀬戸内海へと流れ込む。登山ルートは、明地トンネル入り口手前にある「剣山登山口」から三日月山と剣山ヘ登るコース、旧明地峠にある「新見美しい森ビジターセンター」から階段道を急登りするコースの二つである。入山すると水源地保護の杉林が続き、いたる所から湧き水が噴き出している。どちらのコースも初心者向きでよく整備されたコースである。九合目の休憩所からは、鳥取県大山をはじめとする北面の山々、日本海弓ヶ浜の大展望が得られる。山頂は狭いが、まさに360度の大パノラマが限下に展開している。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.3
【Googlemap】
Googlemapを開く

水島臨海鉄道

Mizushima rinkai tetsudo

大正14(1925)年に峻工した高梁川改修工事によって東高梁川が廃川となった。昭和16(1941)年、瀬戸内海に面した半農半漁の廃川地に三菱重工業名古屋航空機製作所岡山工場が誘致され、水島臨海工業地得の歴史が始まった。昭和18(1943)年、航空機製造工場までの鉄道が敷設された。戦後、鉄道を管轄したのは倉敷市交通局だが、同45(1970)年からは水島臨海鉄道会社が経営を続けている。昭和59(1984)年、岡山臨港鉄道大元~岡山港間廃止。玉島臨海線は、同36(1961)年に起工し橋梁工事などを終えたが、同51(1976)年に計画自体が撤回となった。我が国に現存する臨海鉄道は10路線。だが、旅客と貨物を運行するのは、茨城県の鹿島臨海鉄道と水島臨海鉄道2路線だけである。水島臨海鉄道は、蒸気機関車が活躍していた頃から「ピーポー」の愛称で親しまれてきた。長大貨物列車を従え、東水島駅から西岡山駅までを疾走するディーゼル機関車の姿は、勇壮な現代版ピーポと呼ぶに相応しい。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.27
【Googlemap】
Googlemapを開く

ヘルプ

Help

マップに配置されているアイコンをクリックするか、記事の一覧をクリックしていただくと記事が表示されます。
記事の一覧は、「風土記」「自然」「高梁川流域パスポート掲載施設」「デジタルアーカイブ」のボタンを押すと表示されます。

井笠鉄道

Ikasa tetsudo

明治43(1910)年4月21日「軽便(けいべん)鉄道法」が公布された。この法律第57号に準じて敷設された鉄道を軽便鉄道と呼ぶ。ところが、現在、ケイベンは狭軌(きょうき)鉄道の軌間(きかん) 3呎(フィート) 6吋(インチ)(約106.7cm)よりも狭い鉄道を指して呼ぶことが多い。岡山県内では、明治末期から大正期にかけて西大寺鉄道、下津井電鉄、井原笠岡鉄道、三蟠(さんばん)鉄道など、軌間が狭軌幅に満たない鉄道が運行を開始した。井原笠岡軽便鉄道は、大正2(1913)年にまず笠岡~井原間を開業。同10(1921)年北川~矢掛間、同14(1925)年には井原~高屋間を開業。そして、昭和15(1940)年に神高鉄道高屋~神辺間を買収して全線開業を果たした。蒸気機関車はドイツやベルギーから、レールはドイツから輸入。軌間2呎6吋(約76cm)で同46(1971)年3月まで井笠の地を走り続けた。現在、新山駅は井笠鉄道記念館として整備され、コッぺル社製の蒸気機関車や車両、我が国唯一の軽便規格の転車台などを保存・展示している。また、矢掛駅の支柱と梁には、ブルバッハ社製のレールが使われている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.27
【Googlemap】
Googlemapを開く

真備ふるさと歴史館

Mabi Hurusato Rekishikan

江戸時代真備地区を治めていた岡田藩の古文書を公開しています。当時の藩の様子や村人のくらし、災害を防ぐ工夫など先人の足跡にふれることができる施設です。また、真備地区ゆかりの推理作家、横溝正史の資料を展示する「横溝正史コーナー」も設けています。

【所在地】倉敷市真備町岡田610
【電話番号】086-698-8433
【開館時間】10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・木・金曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】横溝正史
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5842.htm

【Googlemap】
Googlemapを開く

真備歴史民俗資料館

Mabi Rekishi Minzoku Shiryokan

真備地区に残された遺跡、遺物から古代の様相を展示する「大昔の人々が残したもの」と、ひと昔前の農具・生活用具を展示する「おばあさんおじいさんのくらし」の二つで構成された資料館です。

【所在地】倉敷市真備町箭田47-1(真備図書館内)
【電話番号】086-698-9393
【開館時間】10:00~18:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

横溝正史疎開宅

Yokomizo Masashi Sokaitaku

推理小説作家としてたいへん有名な横溝正史とその一家は昭和20年はじめ、東京から当時の岡田村・桜に疎開してきました。横溝正史はこの地で足かけ4年過ごし、その間に日本初の本格推理小説を書きたいと構想を温めました。名作「本陣殺人事件」と金田一耕助はこの家で誕生しました。

【所在地】倉敷市真備町岡田1546
【電話番号】086-698-8558
【開館時間】10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・木・金曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】横溝正史
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/9534.htm

【Googlemap】
Googlemapを開く

まきび記念館

Makibi Kinenkan

奈良時代、遣唐使として活躍し、日本の文化の発展のために力を尽くした吉備真備の業績をたたえ、まきび公園内に昭和63年に開館しました。建物は、四隅がぐんと反り上がった屋根を朱塗りの柱が支える構造で、中国情緒を漂わせています。展示室では、写真やパネルなどで吉備真備に関する歴史を紹介しています。

【所在地】倉敷市真備町箭田3652-1
【電話番号】086-698-7621
【開館時間】10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】吉備真備
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5844.htm

【Googlemap】
Googlemapを開く

旧柚木家住宅(西爽亭)

Kyuyunokike Jutaku (Saisotei)

西爽亭と呼ばれ親しまれている旧柚木家住宅は、江戸時代中期の庄屋建築の遺構を残す建物です。西爽亭は、かつて備中松山藩に仕え、庄屋を務めた柚木家の住宅で、御成門・湯殿・便所等が残されており、当時の様子を知ることができます。

【所在地】倉敷市玉島3丁目8-25
【電話番号】086-522-0151
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.ifurai.jp/

【Googlemap】
Googlemapを開く

顕彰記念室(池田遙邨・坂田一男)

Kensyo Kinenshitsu (IkedaYoson・SakataKazuo)

玉島にゆかりのある日本画家・池田遙邨と洋画家・坂田一男の業績を紹介する展示室です。ここでは二人の生涯をパネル解説で、主な作品や作家の言葉をモニター映像で見ることができます。また、愛用していた筆やパレットなどの貴重な資料も展示しています。

【所在地】倉敷市玉島阿賀崎1-10-1(玉島市民交流センター内)
【電話番号】086-526-1400
【開館時間】9:00~22:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】5・8・11・2月の最終月曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【ゆかりの人物】池田遥邨坂田一男
【ホームページアドレス】http://
www.tamashima-cec.jp/annai/shisetsuannai/kouryuutou#kensho

【Googlemap】
Googlemapを開く

クルクルセンター

Kurukuru Center

ごみ減量とリサイクルの推進を呼びかけていくために平成16年に造られました。館内にはリサイクルに関する展示物がたくさんあります。館外には廃食用油をリサイクルしてバイオディーゼル燃料(BDF)を作る設備があります。また、ごみ減量・リサイクルをテーマにした講座も行っています。

【所在地】倉敷市児島小川町3697-4
【電話番号】086-470-6681
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=8267

【Googlemap】
Googlemapを開く

ビジターセンター(鷲羽山)

Bijitae Center (Wasyuzan)

このビジターセンターは、鷲羽山を訪れる人々が、瀬戸内海国立公園の自然を楽しむとともに自然のしくみや、自然と人とのかかわりを正しく理解できるよう、いろいろな展示がされています。(鷲羽山の自然と歴史コーナー、瀬戸大橋コーナーなど)

【所在地】倉敷市下津井田之浦1-2
【電話番号】086-479-8660
【開館時間】(4月1日~9月30日)9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

薄田泣菫生家

Susukida Kyukin Seika

薄田泣菫は、明治30年から40年にかけてすばらしい詩を数多く発表し、大正時代以降は随筆の分野で多くの読者を魅了しました。泣菫が生活していたこの家には、彼の詩集・原稿(複製)などが展示されています。

【所在地】
倉敷市連島町連島1284
【電話番号】086-446-4830
【開館時間】9:00~16:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】薄田泣菫
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/9531.htm

【Googlemap】
Googlemapを開く

福田歴史民俗資料館

Hukuda Rekishi Minzoku Shiryokan

農具などを中心とした地域の民俗資料を保存・展示しています。ひと昔前の農家の生活や農耕の様子を知ることが出来ます。

【所在地】倉敷市福田町古新田1209-1
【電話番号】086-455-9253
【開館時間】9:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・木・金曜日(月・木・金が祝日の時は開館し、翌日が休館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/

【Googlemap】
Googlemapを開く

埋蔵文化財センター

Maizo Bunkazai Center

大むかしの倉敷はどんなだったのだろう?そんなことを考えたことはないですか。埋蔵文化財センターには、弥生時代の人が住んでいた家の復元模型や、発掘調査で発見された土器や石器を展示しています。また、土器の復元を体験できるパズルなどもあり、大むかしの様子を楽しみながら学習することができます。

【所在地】倉敷市福田町古新田940
【電話番号】086-454-0600
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

磯崎眠亀記念館

Isozaki Minki Kinenkan

磯崎眠亀は天保5年(1834)茶屋町に生まれました。発明の才に富んだ彼は、様々な発明をしましたが、その1つが郷土特産のイ草を使った錦莞莚(花莚)です。明治時代に数多く輸出され、海外でたいへん好評を博しました。国の登録有形文化財である現在の記念館(旧住宅兼研究所)にも奇抜な発想がしのばれます。

【所在地】倉敷市茶屋町195
【電話番号】086-428-8515
【開館時間】9:00~16:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】磯崎眠亀
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/5841.htm

【Googlemap】
Googlemapを開く

歴史民俗資料館

Rekishi Minzoku Shiryokan

建物は大正4年に倉敷幼稚園の園舎として建てられました。当時としては、珍しい八角形の遊戯室のある建物を残すため、この地に資料館として生まれかわりました。幕末から現代までの教科書や、学校で昔使われた道具などを展示しています。

【所在地】倉敷市西中新田669
【電話番号】086-422-7239
【開館時間】9:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

大山名人記念館

Ooyama Meijin Kinenkan

大山康晴名人は西阿知町に生まれ、5才のころから将棋をおぼえ、12才で将棋の道に入り、人一倍の努力により将棋界のナンバーワンになり、114回も優勝しました。優勝カップや写真を展示しています。 写真の和室では、小・中学生の将棋教室などが行われています。

【所在地】倉敷市中央1-18-1
【電話番号】086-434-0003
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】水曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】大山康晴
【ホームページアドレス】http://
www.kcpf.or.jp/hall/kinenkan/index.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

早島町戸川家記念館

Hayashimacho togawake kinenkan

戸川家陣屋跡の書物蔵を改修した館内には、旗本戸川家の代々受け継がれてきた歴史資料が展示されています。町指定史跡の陣屋跡には、石橋や堀の一部も残されています。

【所在地】早島町早島1292
【開館時間】10:00〜16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月~土曜日(祝日の場合は開館)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【ホームページアドレス】http://
www.town.hayashima.lg.jp/kankoucenter/meishoshokai/1454918864721.html

【ゆかりの人物】戸川安宅
【Googlemap】
Googlemapを開く

早島町伝統工芸伝承館(花ござ伝承館)

Hayashimacho Dentokogei Densyokan (Hanagoza Densyokan)

花ござや中継表の手織り技術の保存と敬称を図るため、毎週火曜日と金曜日の午後「花ござ手織り技術保存会」により、手織りの実演が行われています。また、ミニ機による手織り体験もできます。 ※要予約

【所在地】早島町前潟240
【電話番号】086-482-1512(早島町中央公民館)
【開館時間】13:30〜15:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・水・木・土・日曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【映像資料】早島町花ござ手織り伝承館
【ホームページアドレス】http://
www.town.hayashima.lg.jp/kankoucenter/meishoshokai/hanagozateori.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁商家資料館 無料休憩所

Takahashi syoka shiryokan Muryokyusokujo

城下町の町人地区にあたる高梁市本町に位置し、高瀬舟の船主、醤油製造販売で財を成した高梁屈指の豪商・池上家の邸宅です。現在は無料休憩所として公開されています。

【所在地】高梁市本町94
【電話番号】0866-21-0229
【開館時間】10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月28日~1月3日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

武家屋敷 旧折井家

Bukeyashiki kyu oriike

石火矢町ふるさと村の中にある現存する武家屋敷です。旧折井家は、江戸時代後期に、160石取りで、馬回り役を務めた武士の旧宅であり、漆喰壁の格式が漂っています。庭に面して資料館があり、備中松山藩ゆかりの甲冑などが展示されています。

【所在地】高梁市石火矢町23-2
【電話番号】0866-22-1480
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月29日~1月3日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人400円・小中学生200円
(武家屋敷 旧埴原家と共通)
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

武家屋敷 旧埴原家

Bukeyashiki kyu ueharatei

石火矢町ふるさと村の中にある現存する武家屋敷です。旧埴原家は、江戸時代中期から後期にかけて、120~150石取りで、近習役や番頭役を務めた武士の旧宅であり、寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい建築であり、市の重要文化財に指定されています。

【所在地】高梁市石火矢町27
【電話番号】0866-23-1330
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月29日~1月3日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人400円・小中学生200円
(武家屋敷 旧折井家と共通)
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

方谷の里ふれあいセンター

Hokoku no sato hureai center

センターの位置する高梁市中井町は、幕末の備中松山藩の藩政改革を行い理財者であるとともに師弟教育に尽くし教育者として知られる山田方谷の生誕地であり、方谷ゆかりの資料を展示しています。またセンターの近くには、方谷のお墓があり、方谷園として整備されています。

【所在地】高梁市中井町西方3158
【電話番号】086-628-2001
【開館時間】平日8:30~17:00
日曜日9:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】土曜日・祝日・年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【ゆかりの人物】山田方谷
【Googlemap】
Googlemapを開く

吉備川上ふれあい漫画美術館

Kibi kawakami hureai manga bijutsukan

名誉館長の富永一郎氏の作品をはじめ、国内外の漫画12万冊が収蔵されています。

【所在地】高梁市川上町地頭1834
【電話番号】0866-48-3664
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】金曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小中学生200円
高大学生300円
大人400円
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

景年記念館

Keinen kinenkan

高梁市備中町出身の書家 川上景年(かわかみけいねん)の業績を顕彰する記念館です。700点に上る所蔵作品のなかから毎年展示替えを行い、常時約20点の作品を展示しています。

【所在地】高梁市備中町布賀3543-3
【電話番号】0866-45-3721
【開館時間】10:00~15:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・水曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人300円・小人150円
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

旧片山家住宅

Kyu katayamake jutaku

片山家はベンガラ製造と販売で財を成しました。旧片山家住宅は、江戸時代後期に建築され、ベンガラ屋としての店構えを残す主屋とベンガラ製造に関わる付属屋が敷地内に立ち並んでおり、「近世弁柄商家の典型」として国の重要文化財に指定されています。

【所在地】高梁市成羽町吹屋367
【電話番号】0866-29-2222
【開館時間】4月~11月 9:00~17:00
12月~3月 10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月29日~12月31日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人400円・小人200円
(吹屋ふるさと村郷土館と共通)
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

清水比庵記念室(高梁総合文化会館)

Shimizuhian kinenshitsu (Takahashi sogo bunkakaikan)

高梁市出身で、栃木県日光町長を務め、晩年は書・画家として独特な境地を開き、愛好者が多い清水比庵の作品を展示しています。

【所在地】高梁市原田北町1212
【電話番号】0866-22-1040
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】火曜日(祝日の場合は翌日)
12月28日~1月4日
国民の祝日の翌日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】米川文子
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/

【Googlemap】
Googlemapを開く

鯉が窪湿原 及び 鯉が窪湿原資料館

Koigabotsushitsugen oyobi Koigabotsushitsugen shiryokan

湿地面積3.6haの湿原にはオグラセンノウなどの希少植物や、寒地性植物のリュウキンカなどのほか、我が国固有の植物などが200種以上自生し、「西の尾瀬沼」とも言われています。これら植物は国天然記念物「鯉ヶ窪湿生植物群落」として指定されています。

【所在地】新見市哲西町矢田4113-101
【電話番号】0867-94-2347
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】11月~4月中旬
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料(別途、湿原保護協力金あり)
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

御殿町センター

Gotenmachi center

外観は商家の蔵をイメージし、館内には旧新見藩主関家にまつわる資料を展示しています。「御殿町づくり」事業のシンボル施設として建てられました。

【所在地】新見市新見858
【電話番号】0867-72-6660
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】日曜日・祝日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

太池邸

Taike tei

近代新見地域の商業の中心地として栄えた中町界隈にあって、その中核的な商家の一つです。明治時代末期の建物で、新見初の百貨店として呉服をはじめ色々な商品を扱っていました。現在は、邸内でイベントを行うなど交流拠点施設として利用されています。

【所在地】新見市新見851
【開館時間】10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・水・金・日曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

山田方谷記念館

Yamada Hokoku Kinenkan

幕末の陽明学者、藩政政治家、また教育者として活躍した山田方谷の偉業を讃えるため、残存する書籍又は資料等を展示しています。方谷の生き方にふさわしい「誠実・勤勉・清貧・謙譲などの心」を学ぶことができます。

【所在地】新見市大佐小南323-3
【電話番号】0867-98-4059
【開館時間】10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・火曜日(祝日の場合は翌日)
国民の祝日の翌日
※3月25日~4月10日,4月27日~5月10日,7月15日~8月31日の期間は無休
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小~高校生 無料
一般300円
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.city.niimi.okayama.jp/usr/hokoku/hokoku.html

【ゆかりの人物】山田方谷
【Googlemap】
Googlemapを開く

新見市法曽陶芸館(猪風来美術館)

Niimishi Hoso Togeikan (Ifurai bijutsukan)

猪風来氏の代表的縄文野焼き作品をはじめ、スペインラスター彩の陶オブジェや草木染め手織り作品などを多数展示しています。「法曽焼展示コーナー」にはこの地に伝わる法曽焼の古窯発掘陶磁器片や江戸時代の水甕、新たに復活した法曽焼穴窯作品等があります。

【所在地】新見市法曽609
【電話番号】0867-75-2444
【開館時間】9:30~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日、12月~2月は月・火曜日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中学生は無料
高校生200円
一般400円
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.ifurai.jp/

【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡市立カブトガニ博物館

Kasaokashiritsu kabutogani hakubutsukan

「生きている化石」カブトガニのはい跡の化石やレプリカ,生態の説明が展示の中心です。 大水槽では,カブトガニの成体や幼生を見ることができます。シアターでは,映像でカブトガニや生物の進化を解りやすく解説しています。館外には,恐竜公園(無料)があります。

【所在地】笠岡市横島1946-2
【電話番号】0865-67-2477
【開館時間】9:30~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の時は開館し、翌日が休館)
国民の祝日の翌日
※3月25日~4月10日,4月27日~5月10日,7月15日~8月31日の期間は無休
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中学生210円
高校生310円
一般520円(65歳以上無料)
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】https://
www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/

【Googlemap】
Googlemapを開く

岡山天文博物館

Okayama tenmon hakubutsukan

岡山天文博物館は、昭和35(1960)年11月岡山県南西部、浅口郡鴨方町と小田郡矢掛町にまたがる竹林寺山の一角(標高約350m)に隣接する国立天文台岡山天体物理観測所の施設施設の構造・機能や研究等をはじめ、一般的な天文学の普及を目的に開館した。この地は古くから観測適地として知られており、国立天文台岡山天体物理観測所が所有する国内最大級の188cm反射防炎用を持つ天文台が設置されている。今後、京都大学がこの地にアジア最大級の大きさと世界一の技術を兼ね備えた3.8メートルの反射望遠鏡を持つ天文台を建設する予定である。

【所在地】浅口市鴨方町本庄3037-5
【電話番号】0865-44-2465
【開館時間】9:00~16:30
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】毎週月曜日(祝日・振替休日の場合はその翌日),祝日の翌日,連休の場合はその翌日翌々日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】一般 100円
小・中学生 50円
(プラネタリウム別途)
※特別展は別途設定
【映像資料】天文のまち あさくち
【ホームページアドレス】http://
ww1.city.asakuchi.okayama.jp/museum/

【Googlemap】
Googlemapを開く

美星天文台

Bisei tenmondai

一般公開用では中国地方最大級の101cm望遠鏡と、光害防止条例に守られた星空環境によって、誰でも気軽に、美しい星空とバラエティーに富んだ天体の姿を観察できます。昼間は施設見学のほか、晴天時は太陽の拡大映像や、望遠鏡で青空の中の星(午後のみ)が観察できます。

【所在地】井原市美星町大倉1723-70
【電話番号】0866-87-4222
【開館時間】昼 9:30~16:00
夜 18:00~22:00(金土日月曜日)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】木曜日、祝日の翌日、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小学生以上 300円
65歳以上240円
団体等割引有
※特別展は別途設定
【映像資料】星の郷・美星
【ホームページアドレス】http://
www.bao.city.ibara.okayama.jp/

【Googlemap】
Googlemapを開く

玉島歴史民俗海洋資料室

Tamashima rekishi minzoku kaiyo shiryoshitsu

海とともに暮らし、発展してきた玉島の街の歴史や民俗に関する資料や情報を集めた展示室です。亀山焼や麦稈真田などの実物をはじめ、玉島風景図巻や乙島祭りに関する映像、千石船の1/10模型など郷土の歴史や民俗を知るうえで欠かせない資料の数々が並んでいます。

【所在地】倉敷市玉島阿賀崎1-10-1(玉島市民交流センター内)
【電話番号】086-526-1400
【開館時間】9:00~22:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】5・8・11・2月の第4月曜日(祭日の場合は翌日へ振替)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【Googlemap】
Googlemapを開く

むかし下津井回船問屋

Mukashi shimotsui kaisentonya

今に残る廻船問屋の建物をできるだけ当時に近いかたちで復元したものです。北海道でとれた、ニシン粕、こんぶなどを満載して、日本海の荒波を越えてきた北前船によってもたらされた、にぎわいのあったむかしの下津井にまつわるさまざまな資料を展示しています。

【所在地】倉敷市下津井1-7-23
【電話番号】086-479-7890
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】火曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定

【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷科学センター

Kurashiki kagaku sentar

郷土出身の横内正弘氏(故人)から寄贈を受けた美術品をもとに、現在、1,100点余りの作品を収蔵しており、文人画家・富岡鉄斎をはじめ、近・現代の日本画、郷土ゆかりの洋画家等の作品を展示し、1年を通じて子どもから大人まで楽しめる展覧会を開催しています。

【所在地】倉敷市福田町古新田940
【電話番号】086-454-0300
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小学生~高校生
展示室 100円
プラネタリウム210円全天周映画 210円
大人
展示室410円プラネタリウム 410円
全天周映画 410円
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】https://
www2.city.kurashiki.okayama.jp/lifepark/ksc/

【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷市立美術館

Kurashiki shiritsu bijutsukan

倉敷市の名誉市民の画家、池田遙邨の作品をはじめ、岡山ゆかりの作家の作品が1万点以上あります。むかし市役所として使われていた建物は、世界的建築家・丹下健三の設計で、今でも多くの人が見学に来ます。

【所在地】倉敷市中央2-6-1
【電話番号】086-425-6034
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日または振替休日の時は、その翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小・中学生は50円
高校生・大学生100円
一般210円
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】児島虎次郎堀 和平満谷 国四郎池田 遥邨坂田 一男
【ホームページアドレス】http://
www.city.kurashiki.okayama.jp/kcam/

【Googlemap】
Googlemapを開く

自然史博物館

Shizenshi hakubutsukan

岩石や化石、植物、昆虫、動物の標本など約12,000点の資料を展示して、岡山県の自然をわかりやすく説明しています。見るだけでなく標本に直接触れることもできます。また、学芸員による講座や、野外での自然観察会なども実施しています。

【所在地】倉敷市中央2-6-1
【電話番号】086-425-6037
【開館時間】9:00~17:15
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日または振替休日の時は、その翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大学生50円
一般150円(高校生以下、65歳以上無料)
※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/

【Googlemap】
Googlemapを開く

早島町歴史民俗資料館

Hayashimacho rekishi minzoku

早島町の伝統的産業であるい草とい製品に関する資料や道具を見ながら、その歴史を学ぶことができます。※見学ご希望の際は事前にお問い合わせください。

【所在地】早島町前潟237
【電話番号】086-482-1511(町役場生涯学習課)
【開館時間】9:00〜17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】小学生150円
中高生300円
一般400円 ※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.town.hayashima.lg.jp/kankoucenter/meishoshokai/1454918864523.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

備中郷土館

Bichu kyodokan

高梁市備中地域の農村文化の歴史を中心に保存展示する民俗資料館です。昔懐かしい農耕機具等をご覧いただけるとともに、彫刻家 宮本隆の作品等もご紹介しています(予定)。

【所在地】高梁市備中町布賀3535
【電話番号】0866-45-9850
【開館時間】10:00~15:00 ※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月・水曜日
国民の祝日の翌日※3月25日~4月10日,4月27日~5月10日,7月15日~8月31日の期間は無休
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料
※特別展は別途設定
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁市成羽美術館

Takahashi nariwa bijutsukan

高梁市成羽地域出身の画家・児島虎次郎の絵画を中心に、児島が外遊中に収集した古代エジプト遺品や成羽地域産出の植物化石などを展示しています。建築家 安藤忠雄氏による建物も見所の一つです。

【所在地】高梁市成羽町下原1068-3
【電話番号】0866-42-4455
【開館時間】9:30~17:00(16:30まで受付)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】一般500円
高大学生300円
小中学生200円
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】児島虎次郎
【ホームページアドレス】http://
www.kibi.ne.jp/~n-museum/

【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁市郷土資料館

Takahashi kyodo shiryokan

明治37年に建築された、旧高梁尋常高等小学校の本館を活用した資料館で、建物は市の重要文化財に指定されています。江戸から昭和にかけての生活用具や農耕機具などを展示しています。

【所在地】高梁市向町21
【電話番号】0866-22-1479
【開館時間】9:00~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月29日~1月3日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】
大人300円・小中学生150円
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】山田方谷
【Googlemap】
Googlemapを開く

歴史美術館(文化交流館)

Rekishi bijutsukan (bunka koryukan)

高梁の歴史資料やゆかりの芸術家の作品を収蔵した美術館です。常設展では、備中松山城の歴史や歴代城主などの歴史を展示しています。また、特別展等随時開催しています。

【所在地】高梁市原田北町1203-1
【電話番号】0866-21-0180
【開館時間】9:00~17:00(16:30まで受付)
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】火曜日(祝日の場合は翌日)12月28日~1月4日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人300円・小中学生150円
※特別展は別途設定
【ゆかりの人物】山田方谷板倉勝静三島中洲川田甕江
【Googlemap】
Googlemapを開く

新見美術館

Niimi bijutsukan

郷土出身の横内正弘氏(故人)から寄贈を受けた美術品をもとに、現在、1,100点余りの作品を収蔵しており、文人画家・富岡鉄斎をはじめ、近・現代の日本画、郷土ゆかりの洋画家等の作品を展示し、1年を通じて子どもから大人まで楽しめる展覧会を開催しています。

【所在地】新見市西方361
【電話番号】0867-72-7851
【開館時間】9:30~17:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合は翌日)、展示替期間中
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】 小学生150円
中高生300円
一般400円 ※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】 http://
www.city.niimi.okayama.jp/usr/art/

【Googlemap】
Googlemapを開く

新見機関区

Niimi kikanku

我が国の蒸気機関車庫には矩形と扇形の2種類が存在した。明治4(1871)年、横浜駅に矩形、新橋駅には扇形庫が建設された。現存最古の扇形庫は同18(l885)年に建造された北海道の手宮機関車庫、国の重要文化財に指定されている。ところが、手宮以降に建設された機関車庫は矩形が中心。姫路駅に煉瓦造の第2機関車庫が竣功した同36(1903)年頃から扇形庫が増え始めた。岡山県では、大正10(1921)年岡山駅、昭和3(1928)年新見駅、同11(1936)年津山駅にコンクリート造扇形庫が建てられた。新見駅の扇形庫は、同13(1938)年に7線からは14線構造に増築されたが、同47(1974)年の無煙化の後、同55(1980)年に解体された。新見機関区の全盛期は同41(1966)年頃。配属蒸気機関車38両、職員約400名を数えたという。現存扇形庫では京都の梅小路機関車庫が最大で、重要文化財の指定を受けている。二番目の規模を誇るのが旧津山扇形機関車庫で、昭和7(1932)年に大成された「扇形機関車庫設計標準図」に準じて建設された。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.26
【Googlemap】
Googlemapを開く

未新田

Mishinden

写真は、笠岡駅に停車中の山陽本線71号機関車である。炭水車に71の数字と貨車に山陽鉄道の山じるしマークがみえる。機関車は明治30(1897)年頃、アメリカから購入したものである。国有化後の羽田(同42)年まで「71号」として使われており、その間の撮影である。JR笠岡駅舎は同24(1891)年建設、大正15(1926)年に一部改築、昭和34(1959)年に大改築された。改築にあたり笠岡市は、笠岡駅舎を市発展の大きな拠点(本市の表玄関)と考えていたので、多額の鉄道利用債を引き受け協力した。その2年後の同36(1961)年10月1日に、倉敷~三原間が電化開通した。笠岡駅では、小学生たちが小旗を振って記念電車を迎えた。電化開通と同時に電気機関車が導入された。それまで蒸気機関車に牽引された客車で煤煙に悩まされていた乗客は、快適な旅を楽しむことができるようになった。さらに、輸送力スピードアップにより、通勤通学や行楽などにも便利になってきた。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.25
【Googlemap】
Googlemapを開く

備中和紙

Bichu washi

備中和紙は、主原料である楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の樹皮繊維を黄蜀葵(とろろあおい)ののりの中に溶かし、一枚一枚漉いて作る。かつては日常の用に使われていたが、現在は、楮紙はもちろん仮名書道用の鳥の子紙(雁皮紙)などのほか植物染料による渋い色調の染め紙も製造している。また、昭和55(1980)年の東大寺昭和大納経の用紙に指定されるなど、書に適した紙として書家の間で好評を得ている。和紙を作る技術は、奈良時代から伝わったと言われている。明治時代になると洋紙におされ生産は激減し、「清川内紙(ないごうちがみ)」という和紙だけが備中町の成羽川沿いで細々と漉かれていた。昭和39(1964)年の新成羽川ダム建設により産地がなくなったが、復活を願う人々の努力でもあり、丹下哲夫氏が生産の場所を倉敷に移し「備中和紙」として再び生産するようになった。昭和57(1982)年3月には、岡山県伝統的工芸品として指定されている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.16
【Googlemap】
Googlemapを開く

藺草田

Igusa den

岡山県で藺草が大量に生産され、畳表が流通商品となった歴史は、江戸時代前期の児島湾干拓による広大な新田開発の時代に遡る。海を干拓した土地には塩分が残るが、塩分に強い藺草と綿は、この新しい大地に力強く根を張った。明治29(1896)年の「郡市別藺草作付面積」の記録によると、県下で都宇郡が最も多く、次いで御野郡、窪屋郡の順であり、県南の干拓地を中心に広大な藺草が広がっていたことが分かる。また、藺草の栽培とともに、畳表の家内工業が発達し、家ごとに畳表の機を織る音が聞こえていた。江戸時代、早島で織られた畳表は「早島表」の名で全国に知られた。藺草の栽培は大変な重労働で、繁忙期には県内外からの労働者も多く雇われ、町に人が溢れたという。しかし、藺草の栽培も昭和40年代頃から衰退し、今では県下でもほとんど藺草田は見られない。早島町では、平成13(2001)年に「ゆどころ保存会」が結成され、長く続いた藺草栽培の歴史を今に伝えている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.16
【Googlemap】
Googlemapを開く

向山

Mukoyama

向山から、倉敷紡績(現倉敷アイビースクエア)を望む風景。写真の奥、中央に見える特徴的な山は、酒津八幡山。現倉敷アイビースクエアは、ツタに覆われた赤レンガの壁が特徴の近代化産業遺産。昭和48(1973)年に、倉敷紡績所旧工場が修繕・再生されたものである。倉敷紡績所は、明治22(1889)年に倉敷代官所跡に建設されたものである。明治の創業以降、昭和20(1945)年まで、倉敷の発展を担う中心であった。紡績所建設前のこの場所には、倉敷代官所が存在していた。倉敷代官所は寛永19(1642)年から慶応2(1866)年の倉敷浅尾騒動で灰贐と化すまで、この地に設置され、備中(倉敷)、美作(久世)、讃岐(塩飽諸島)の天領を支配する枢府となっていた。今は、代官所跡の記念碑と濠の遺構が、倉敷アイビースクエア構内に残るだけである。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.16
【Googlemap】
Googlemapを開く

たたら製鉄

Tatara seitetsu

たたらとは千年以上の歴史を持つ日本古来の製鉄方法である。たたらは川の砂鉄と木炭を燃焼させて鉄を得るもので、森林資材の豊富な中国山地から日本海一帯で盛んに作られており、高梁川流域でも新見市から総社市に至る各地でたたら跡が散見される。因みに、「真金吹く」は「吉備」の枕詞で製鉄の精錬の工程で飛び散る火花の様を言い表わしているとされる。中世において、新見市は「新見庄」として栄えた京都東寺(教王護国寺)の荘園で、良質な砂鉄が採取されていたことから、鉄を年貢として納めていたという記録が東寺百合文書(国宝)に残っている。その鉄を作る製法を現代によみがえらせるべく、「中世たたら製鉄の再現」を平成11(1999)年から行っており、同19(2007)年からは「たたら体験学習事業」として市民参加型の体験実習を実施している。写真は、燃え盛っている炉内に砂鉄を入れる場面である。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.15
【Googlemap】
Googlemapを開く

金比羅往来

Konpira orai

江戸時代、備中南部の主要な道を「備中国絵図」に見ることができる。絵図には、中国地方を縦貫し東海道につながる大動脈の山陽道と、庭瀬から鴨方・笠岡に至る鴨方往来が描かれている。この二つの道と交差する南北線として、撫川から南に早島を経て備前児島ヘ至り四国へと続く道が、後に金比羅往来と呼ばれる道筋である。金比羅往来は、中・四国間の重要な連絡路であるとともに、金比羅参詣や四国八十八ヵ所巡りの旅人で賑わう信仰の道でもあった。金比羅往来は、この南北線とともに岡山城下から妹尾を経て早島に至る東西線があり、早島は東西、南北の金比羅往来の交わる交通の要衝であった。特に町の中心部を通る道は、児島湾干拓の先がけとなった宇喜多堤の跡といわれている。多くの旅人が行き交う金比羅往来には道標が立てられ、要所要所に旅籠や茶店が並び、賑わったという。町内には、今でも当時の往来が偲ばれる道標や灯籠が随所に残されている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.15
【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷駅前

Kurashiki ekimae

写真は昭和36(1961)年の倉敷駅前。写真左手が倉敷駅。左に伸びる道を行くと駅前に出る(現在は駅南側のロータリー)。写真の上が東。下が西。バスとトラックの走るこの車道が、現在の国道429号線。しかし昭和36(1961)年当時には、センターラインもない。写真の右斜め上に走る道が、商店街の現栄天街と倉敷センター街。写真の右斜め上の建物は、現在もある中国銀行倉敷駅前支店。その前の車が停まっている舗装されていない場所は、当時の中国銀行の駐車場。写真の右に延びる車道を行くと、現市役所方面ヘ行く。この当時は、この道はまだ細く、今のように片側2車線になっていない。写真の右斜め下、二人連れが歩いて出てきているのは、商店街の現倉敷一番街である。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.15
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡商店街

Kasaoka shotengai

明治40(1907)年頃の写真で、小田郡笠岡町の本道通り筋。商店街の通りは、江戸時代から浜街道として東西を結ぶ主要な道であり、これに面して商家が軒を連ねていた。県西部から広島県東部一帯にわたる顧客を集めていたという。明治20年代頃の笠岡町の中心商家街が本島町通り筋であった。昭和37(1962)年の笠岡市商店街診断報告書によると、笠岡の商店街は、昭和以前創業の商店が47%、しかも明治時代創業というのが全体の33%であった。大正に入ると、最寄りの品だけでなく買いまわり品を扱う商店が増えて小売商の幅が広がっており、商店街が周辺の備中地南西部からの集客力を強め、港町だけに歓楽的施設もあった。明治43(1910)年には備後水力電力側により電灯が笠岡・金浦につき、商家の販売力を高めていった。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.14


【Googlemap】
Googlemapを開く

石火矢町ふるさと村

Ishibiyacho furusatomura

高梁市の市街地的一角、石火矢町の町並み。石火矢町は、江戸時代備中松山藩主池田長幸によって武家町として建設された町である。「石火矢」とは石または鉄・鉛などを飛ばして用いた火砲のことで、近世初期に西洋から伝来した大砲をさす。しかし、ここに居住した武士が必ず火砲に関わったわけではない。江戸時代の後半にこの地域を治めた板倉氏の家臣団は家格によって1番から5番まで格付けされた屋敷に居住したが、石火矢町には2番屋敷が置かれた。現在、公開されている武家屋敷館折井邸はその典型例である。また、同じく公開されている埴原邸は4代藩主板倉勝政の生母志茂の実家であったため、式台などの意匠が2番屋敷以上の格式で設置されており、見所の一つとなっている。現在は岡山県のふるさと村に指定されており、武家屋敷の折井邸、及び埴原邸が公開されている。また、武家町のたたずまいを見せる土塀や武者窓などもみることができる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.12
【Googlemap】
Googlemapを開く

西江邸・広兼邸

Nishietei・Hirokanetei

広兼家は、ベンガラの原料となるローハの製造で財を成しました。広兼邸は、江戸末期に建てられた楼門づくりで、城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。

【参考文献】流域パスポート
【所在地】高梁市成羽町中野2710
【電話番号】0866-29-2222
【開館時間】4月~11月9:00~17:00
12月~3月 10:00~16:00
※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】12月29日~12月31日
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】大人300円・小人150円

【Googlemap】
Googlemapを開く

吹屋の町並み

Fukiya no machinami

銅山町として発達し、ベンガラの生産によって栄えた吹屋の町並み。石州瓦とベンガラ塗りの柱や壁の赤褐色が特徴の現在の町並みと、明治30(1887)年頃の吹屋の姿。吹屋銅山の起源については平安時代初期807(大同2)年説があるが、一般には室町時代(南北朝時代)が有力視されている。江戸時代の銅山経営は大塚家を中心とした地元資本の村稼ぎの時代と泉屋、代官所などの外からの資本による経営の繰り返しであった。町に直接富をもたらしたのは江戸時代後期から始められたベンガラの生産と考えられている。明治6(1873)年三菱の岩崎弥太郎が、請負権を買収してからは飛躍的な生産量となったが、昭和47(1972)年に閉山し、銅山としての歴史を完全に閉じた。現在、吹屋の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区とふるさと村の県指定を受けており、江戸時代末期から明治時代の建物が並び、かつて栄えた銅山町の風情を今に伝えている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.12
【Googlemap】
Googlemapを開く

森田酒造前

Moritashuzo mae

倉敷市本町の阿智神社参道を望む風景。現在、倉敷の顔となっている「美観地区」。この情緒ある町並みの保存には、古くから先覚者たちが尽力し、昭和30年代後半から、住民・行政が一体となった保存活動の取り組みへと発展していった。昭和44(1969)年、市の伝統美観保存計画の策定、同53(1978)年、市の伝統的建造物群保存地区保存条例の制定、そして同54(1979)年国の重要伝統的建造物群保存地区として指定。保存地区に指定されてから後の方が、住民には苦労が多いことだと思う。しかし、今もにぎわう街中にあって、容易に百年前の写真と同じ場所を見つけることができ、はるか昔に思いを馳せることができることは、倉敷市民のみならず岡山県民の大きな誇りである。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.10
【Googlemap】
Googlemapを開く

まちかど郷土館

Machikado kyodokan

まちかど郷土館は、明治43年に建築された旧総社警察署の建物で、総社市内で現存する唯一の明治洋風建築です。館内には、備中売薬や阿曽の鋳物、い草関係など、明治を中心とした伝統産業の資料を展示しています。

【所在地】総社市総社二丁目17-33
【電話番号】0866-93-9211
【開館時間】9:00~17:00 ※入館時間を確認のうえお越しください
【休館日】月曜日(祝日の場合、その翌日)、年末年始
※年末年始の休館日は施設にお尋ね下さい
【料金】無料 ※特別展は別途設定
【ホームページアドレス】http://
www.city.soja.okayama.jp/shoukou_kanko/bunka_sports/machikado.html

【Googlemap】
Googlemapを開く

総社宮

Sojagu

総社の地名の由来となったといわれる社。総社は、国中の神社を巡拝する慣わしの不便をはぶくため、平安時代末期に国府の近くに造られるようになったものであり、この備中の総社は324社の神々を一つに配ったもの。前庭の三島式庭園は、古代様式をそのまま今に伝え、長い回廊の美しい影が水面に映し出されている。また、拝殿には多くの絵馬が奉納されており、円山応挙や大原呑舟などといった絵画史に残る有名な画家によって描かれた絵馬も奉納されている。その他、直径2.5mの茅でできた輪を3回くぐりぬけ、厄除けを願う「輪くぐり祭」や、総社宮に伝わる力石(約180kgの横綱力石)をどれだけ長く持ち上げることができるかを競う「力石総社」などの行事が行われている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.23
【Googlemap】
Googlemapを開く

倉敷考古館と中橋

Kurashiki koukokan to Nakabashi

現倉敷美観地区の倉敷考古館と中橋を撮影した大正初期(写真①)と平成21(2009)年(写真②)の様子である。倉敷考古館は昭和25(1950)に開館。倉敷で江戸時代から商家を営んでいた小山家の土蔵を利用したものである。太鼓状のカーブを描く石造りの橋は、中橋。この中橋は、明治10(1877)年に木造から現在の石造へと架け替えられた。大正初期の写真①では川岸に電柱が見える。倉敷に電灯がついたのは明治43(1910)年。撮影の少し前のことである。また当時、岸に植えられているのは桜であるが、現在は柳に植え替えられている。中橋の向こうには舟が見える。倉敷川は児島湾を経て瀬戸内海につながる物流の大動脈として、江戸時代から倉敷の発展を支えてきた。倉敷川は海につながる汐入川であり、物資の運搬を担う舟の入出する舟入川であったのだ。しかし、昭和34(1959)年の児島湾堤防締切により倉敷川は淡水化し、通船もとだえ、物流の川としての役目を終えた。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.10
【Googlemap】
Googlemapを開く

備中国分尼寺跡

Bichu kokubunniji ato

奈良時代の天平13(741)年に、聖武天皇が仏の力によって外敵や災害、疫病などの災いから国を守るため、全国に僧寺や尼寺を建てるように詔を出した。その命により建てられた尼寺の一つが、この備中国分尼寺である。備中国分尼寺跡は、備中国分寺の東方、約700mのなだらかな丘陵地にあり、国分寺とは異なり、短期間で廃棄されたものと考えられる。現在では、アカマツ林の中に残る建物の柱を支えた大きな礎石や、築地土塀の痕跡を残すのみであるが、当時の寺域は東西約108m、南北約216mと推定されている。建物は境内の中心線上に南門、中門、金堂、講堂が一直線に配置され、中でも金堂は残っている礎石からかなり大きな建物であったと想像できる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.23
【Googlemap】
Googlemapを開く

備中国分寺

Bichu kokubunji

備中国分寺は、総社市南部のアカマツに包まれた美しい丘陵地帝のほぼ中央部に位置し、聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺の一つである。当時の境内は、東西約160m、南北約178mと推定されるが、建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在ある建物は江戸時代に再建されたものである。また、境内にそびえる吉備路のシンボルともいうべき五重搭は、県内唯一の五重塔で、国の重要文化財に指定されている。この五重塔は国分寺の再興からおよそ100年後の文政4(1821)年頃より建立が図られ、工事が完了したのは天保14(1843)年か弘化元(1844)年のことといわれている。総高約34.3mの大規模な塔で、木造本瓦葺、青銅製の相輸をたてている。3層まではケヤキ材、4・5層は松材を主に使用しており、心柱が塔の中央を礎石の上から相輪まで達している。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.23
【映像資料】古代吉備文化発祥の地 総社市

【Googlemap】
Googlemapを開く

角力取山古墳

Sumotoriyama kofun

総社市(旧山手村)にある旧山陽道を北に望む低い丘陵上に築かれた古墳で一辺36m×38m、高さ約5mの吉備地方では最大規模の方墳。墳丘の外表構造については、斜面を覆う葺石や、段の有無も明らかではないが、墳丘に立てられた埴輸が少数ながら採集されている。埴輸の形状から5世紀後半に造られた古墳であると考えられるが、内部の埋葬施設の構造については全く明らかになっていない。その名の由来は、戦前、古墳の西側に土俵を設け、宮の祭りの際に奉納相撲が行われていたことからきているという説が伝えられている。また、この古墳の上には、県指定天然記念物で、樹齢約450年を誇る樹形の非常に美しいクロマツが枝を大きく広げ、そびえている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.22
【Googlemap】
Googlemapを開く

こうもり塚古墳

Komoriduka kofun

備中国分寺と国分尼寺跡の中間の丘陵にある前方後円墳で、またの名を「くろひめ嫁古墳」ともいわれていた古墳。6世紀に築造され、全長は約100m、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室を持つ。この横穴式石室は、全長19.4mで巨大な石を組み合わせて造られており、全国で第4位の規模を誇る。玉砂利を敷き詰めた石室には、貝殻石灰岩で造られた家形石棺や、土を焼いて作った陶棺、そして木の棺が安置されていた。盗掘の被害を受けてきたが、須恵器や土師器などの土器のほか、大刀や馬具をはじめとした鉄器などが多数出土している。また、この古墳は、かつて仁徳天皇に愛された吉備のくろひめの墓とされ、「くろひめ塚古墳」と呼ばれていた。しかし、6世紀後半に造られたもので、仁徳天曇の時代とは100年以上も隔たりがあり、また、石室内にこうもりがたくさんいたことから「こうもり塚古墳」と改められた。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.22
【Googlemap】
Googlemapを開く

作山古墳

Tsukuriyama kofun

備中国分寺から西方約1㎞の田園地帯にある作山古墳は、全長286m、高さ約24mの3段からなる前方後円墳で、その規模は県内では岡山市の造山古墳に次いで2番目、全国でも第9位と巨大なものである。形状や構造、埴輪などの特徴から、造山古墳に次いで5世紀中ごろに築造された吉備の大首長の墓と考えられている。丘陵を3段に整形加工した斜面と平らな面からなる墳丘は、現在は草と木で覆われているが、築造当時は平らな面に5千本以上の埴輪が立て並べられ、斜面には石が敷き詰められていた。また、造山古墳と同じく天皇の墓とされていないため、中に立ち入ることができる古墳の中では全国でも最大級のものであるという特徴がある。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.22
【Googlemap】
Googlemapを開く

舟本荒神

Funamoto kojin

舟本は早島の河川交通の発着ではここ舟本から汐入川の水運を生かし、特産の畳表のほか、多くの物資を運んでいた。また、薪などの消費物資も児島湾を経由して運ばれてきた。この港の維持管理は村中総出で行い、安政3(1856)年には、昔の例にならい、みなとの破損修理のため村と役所と商人が共同で出資して川岸10間ほどを石垣に整備したとの記録がある。舟本荒神社は、延宝年間(1673~1681年)に前潟新田の開墾が完成したことに伴い、国家安全五穀豊穣祈願のために、千光寺(町内市場)境内の荒神社より分体奉祀されたものである。現在の舟本は、汐入川沿いに走る南北の県道と、岡山・倉敷に抜ける東西の道との交差点として、通行の多い箇所である。交差点には、金比羅平往来の道しるべがひっそりと佇み、今は道を行き交う人や車の流れを見つめている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.21
【Googlemap】
Googlemapを開く

厳島神社・弁才天

Itsukushimajinja・Benzaiten

弁才天の地名は、厳島神社の祭神である弁財天に由来する。弁才天は、舟本と並ぶ早島の川港で、河川交通の拠点であった。厳島神社境内には、それを物語るように、天保年間に四国三豊郡和田村(現香川県観音寺市)から灰の購入にきた灰船の船頭たちが寄進した灯寵が今も残されている。また弁才天は四国への金比羅往来の沿線にあり、多くの旅人が行き来したところで、金比羅への道を示す道標も今に残る。江戸時代後期の金比羅往来は、ここ弁才天を起点に南下し、茶屋町・天城へと続いた。厳島神社境内には、ごつごつとした巨石が多く残されている。この巨石群は、川港の歴史をさらに遡り、この辺りがまだ海であった頃、打ち寄せる波が山肌を削ったものとされる。巨石群の上に鎮座する弁才天、厳島神社は、明治時代に諒まれた「早島十景」に「弁天の浮き見堂」として紹介され、今でも土地の歴史と昔の風景を静かに伝えてくれる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.21
【Googlemap】
Googlemapを開く

遍照寺

Henjoji

写真では、中央に遍照寺の仁王門、左端には枝垂れいちょう、右端には多宝塔がある。遍照寺は笠岡駅前土地区画整理事業によって昭和52(1977)年、西の浜の埋立地へ移転した。現在は「いちょう公園」となり、多宝塔と枝垂れいちょうの木だけが元の場所に残っている。慶長11(1606)年に建てられた岡山県下の多宝塔建築の中で最も古い国指定重要文化財の「遍照寺多宝塔」は、内部の天井・壁・柱などに装飾文様・絵画が極彩色で描かれている。枝垂れいちょうは、多宝港建立記念として植樹されたといわれる。枝がすべて垂れ下がっているところから「枝垂れいちょう」と呼ばれるが、これは学術上の品種名ではない。本樹は、雌株で秋にはたくさんの銀杏が採れる。また、遍照寺の仁王門に吊られている青銅製の梵鐘は、室町時代に鋳造されたものである。銘文が刻まれており、それによると、永年4(1432)年現在の早島町鶴崎神社の鐘として鋳造されたことが分かる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.21
【Googlemap】
Googlemapを開く

酒津真如院

Sakadu shinnyoin

葉書のセットである。発行者は酒津婦人会であり、完成を祝う地元の様子がうかがわれる。絵葉書に「延命山眞如院」と表記されているこの寺は、現在「韶法山済興寺」と号し、酒津配水池の北にある。都窪郡誌には「当院は河川改修のため大正6(1917)年東酒津字荒神谷に移転せり」とあり、中洲町誌には「古来酒津本村にありしが河川改修のため同4(1915)年東酒津字城の内に移転せり」とある。いずれにしても高梁川の河川改修のため移転したものと伝わる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.21
【Googlemap】
Googlemapを開く

宝福寺

Hofukuji

井山宝福寺は、総社市赤浜で生まれた画聖・雪舟が幼い頃に修行をし、涙でネズミの絵を描いたという有名な逸話で知られる臨済宗東福寺派の寺院。京都にある本山東福寺との結びつきが強く、地方の中でも有力な律宗寺院である。もともとは天台宗の寺院だったが、鎌倉時代中頃に臨済宗に改宗された。境内にある三重塔は、南北朝時代の永和2(1376)年に建てられ、県内では2番目の古塔である。これは戦国時代の戦火を免れた貴重な建物で国指定重要文化財である。その他の建物は消失してしまったと考えられるが、歴代の住職などの努力により見事に復興された。仏殿や方丈などの七堂伽藍を備えた境内は禅宗特有の趣を感じさせ、座禅体験をすることができる。特に、秋の紅葉シーズンには数多くの観光客で賑い、訪れる人々の心に感動を与えてくれる。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.21
【ゆかりの人物】雪舟
【映像資料】総社市で生まれた画聖 雪舟
【Googlemap】
Googlemapを開く

福山城跡

Fukuyamajo ato

福山城は総社市南部の福山(302m)山上に存在した山城。城跡は、鎌倉末期から室町初期にかけての南北朝動乱期を描いた軍事物語『太平記』に記された「福山合戦」の舞台となった場所として有名で国指定の史跡。1336(建武3)年、京都の戦いで敗れた足利尊氏は九州に逃れ、勢力を盛り返しながら再び都を目指し攻め上がった。この時、後醍醐天皇方の新田義貞軍の武将大井田氏経はこれを阻止するために福山城を占拠し、新田軍1500騎と30万の足利軍が、三日三晩にわたる激しい攻防を展開したと伝えられている。標高302mの福山は、古代より山岳仏教の寺院・福山寺があり、山頂部には平坦化された寺域と礎石がみられる。福山城はこの寺を改変して砦にしたため、にわかづくりの門の跡、土塁、井戸跡のほか、寺院の古瓦片や窯跡が残されている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.20
【Googlemap】
Googlemapを開く

鬼ノ城

Ki no jo

「謎の古代山城」として全国の歴史ファンの注目を集める鬼ノ城は、吉備高原の南の端に位置する標高約400mにある総社市の鬼城山(きのじょうざん)の8~9合目にかけて築かれた古代山城で、吉備津彦命(きびつひこのみこと)の温羅(うら)退治の伝説の舞台としても有名で国指定の史跡。城の南側が深い谷と急斜面からなり、自然の地形を利用した難攻不落の堅固な要塞である。また、眼下には古代吉備文化の中枢地たる総社平野はもちろん、瀬戸内海や遠く四国山脈までを望むことができる。周囲を城壁が約2.8kmにわたって鉢巻状に巡り、城壁は一段一列に並べて置かれた列石の上に土を少しずつ入れてつき固めた版築土塁と高い石垣で築かれている。城内は約30haに及ぶ広大なもので水門が6ヶ所、城門が4ヶ所、食糧貯蔵庫と考えられる礎石建物跡などが確認されている。平成13(2001)年度から整備が開始され、古代山城としては初めて門と城壁が復元された。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.20
【Googlemap】
Googlemapを開く

名勝頼久寺庭園

Meisho raikyujiteien

6月、サツキ、ツツジの咲く名勝頼久寺庭園を撮影したもの。頼久寺は南北朝時代(1336~1392)のはじめ、足利尊氏、直義兄弟が全国に建立した安国寺の一つといわれる。暦応2(1339)年に開かれ、臨済宗永源寺派の祖寂室元光を開山としている。一時、寺は衰退したものの、戦国時代のはじめ備中松山城主であった上野頼久(?~1521)が荒廃していた安国寺を再興した。これにより寺号が安国頼久禅寺と改められ、現在まで続いている。備中松山は上野氏の後、庄氏、三村氏、毛利氏などに治められたが、慶長5(1600)年関ヶ原の戦いの直後から小堀正次(1540~1604)が備中国奉行として支配を行い、正次の死後、子の政一(遠州)が継いだ。遠州は作庭、茶の湯、築城などにその才能を発揮した。この頃、備中松山城は荒廃しており、仮の居館として頼久寺が使われ、頼久寺庭園はこのとき遠州によって作庭されたと考えられている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.20
【Googlemap】
Googlemapを開く

備中松山城

Bichu matsuyamajo

天守の現存する国内唯一の山城です。天守は、臥牛山の山頂付近の約430mに築造されており、国の重要文化財に指定されています。時期によっては、雲海に浮かぶことから、「天空の山城」とも呼ばれています。

【ゆかりの人物】山田方谷秋庭重信板倉勝静三島中洲川田甕江
【映像資料】天守の残る唯一の山城 備中松山城
【参考文献】流域パスポート
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡小学校

Kasaoka shogakko

大正6(1917)年頃の写真で正確には「笠岡尋常小学校」、「笠岡女子尋常高等小学校」の時代である。中央に子どもたちが座っているのは当時あった井戸である。左の柵の外は同6(1917)年にできた笠岡区裁判所であると思われる。また、正面の建物は、かつて小田県庁舎として使われていた建物である。小田県庁舎が建っていた位置に昭和17(1942)年に建設された中央の赤い屋根の貫閲講堂、その右側には同31(1956)年新設した3階建ての鉄筋校舎があり、左側には同34(1959)年に新築した校舎がある。左にあった笠岡区裁判所の建物・井戸は、現在の運動場となっている。現在の笠岡小学校は、明治6(1873)年3月「敬業小学校」として発足し、同9(1876)に現在の小田県庁跡に移転。以後、通学区域は変わっていないが、時代、制度の移り変わりに従って学校の名称や規模もいくたびか変わりながら現在に至っている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.20
【Googlemap】
Googlemapを開く

小田郡役所

Odagun yakusho

明治40(1907)年頃の写真で、小田郡役所は同11(1878)年9月20日に設置された。当初は威徳寺の建物を流用して庁舎としていたが、同31(1898)年3月7日に発生した大火災で焼失後、同33(1900)年に八幡平に新築されたのがこの新庁舎である。郡役所は大正15(1926)年7月1日までおかれていた。現在は廃寮となっている笠岡高等学校等の女子寮として使用されていた建物であり、当時の面影を残すのは石垣のみとなっている。明治23(1890)年5月17日に群制が公布され、それまで行政区画にすぎなかった郡が不完全ながら実態を備えることとなり、群には郡会及び郡参事会が置かれ、地主を中心とする有産者が郡行政及び町村監督行政への参政権を得ることとなった。郡議員は笠岡地方で見る限りはかなり庶民的であり、議長は郡長がなっていた。制度的には自治体としては限界があり、郡長は政府の官僚的統治の最先端として中央集権政策遂行の中枢的役割を果たした。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.19
【Googlemap】
Googlemapを開く

里庄庁舎

Satosho chosha

明治22(1889)年町村制施行で発足した里見村と新庄村が、同38(1905)年に合併して里見村となった。昭和25(1950)年6月1日には町制施行によって里庄町となり、平成22(2010)年には町制60周年を迎え、現在に至っている。人口は、町制施行を行った昭和25(1950)年6月1日において、7,469人で、水島と福山の工業地帯の中間に位置する地理的条件や国道2号線、山陽本線が通るなど交通条件に恵まれていたことから、工場立地が進むとともに、ベッドタウンが形成され、人口も増加に転じている。平成2(199O)年には1万583人と1万人を超え、同22(2010)年現在、人口は1万1,076人、世帯数は4,087世帯である。旧庁舎は、昭和3(1928)年に建築されたもので現庁舎は同51(1976)年4月に完成した。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.19
【Googlemap】
Googlemapを開く

旧制岡山県立矢掛中学校正門

Kyusei okayama kenritsu yakage chugakko seimon

旧制矢掛中学校は、県下で四番目の県立の中学校として明治35(1902)年に開校した。当時、備中南部の地に県立中学校の設置を望む声が高まり、候補地をめぐり紆余曲折を経た末の開校だった。その後、昭和23(1948)年に岡山県立高等学校設置条例により、岡山県立矢掛第一高等学校と改称し、同24(1949)年には矢掛第二高等学校(旧岡山県立矢掛高等女学校)と統合し、矢掛高等学校が誕生。さらに、平成18(2006)年に県立矢掛商業高等学校と統合し、現在の矢掛高等学校となった。開校以来、矢掛町を中心に周辺地域の高等教育の拠点となり、約2万人の卒業生を輩出している。この写真の正門は設立当初のもので、今も校内に移築保管されている。学校を囲む石垣と白壁は今も健在で風に揺れる柳の葉とのコントラストが、ふるさとの情景として瞼に焼き付いている方も多いのではないだろうか。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.19
【Googlemap】
Googlemapを開く

桜渓塾

Okei juku

桜渓塾は旧川上郡九名村出身の儒学者 阪谷朗廬(さかたにろうろ)が、嘉永4(1851)年に後月郡築瀬村(現井原市芳井町築瀬)ヘ開いた塾。阪谷朗廬は大阪の大塩平八郎や江戸の昌谷精渓(さかやせいけい)、古賀侗庵(こがとうあん)らに学んだ、優れた儒学者であったが、26歳で病気の母の元ヘ帰郷、その後結婚し桜渓塾を開いた。しかしその後、朗廬の名声を伝え聞いた一橋領の友山勝次代官は、教諭所(後の郷学 興譲館)を設けるために彼を招聘し朗廬は後に初代輿譲館長となった。朗廬は嘉永6(1853)年より興譲館ヘ移り住むと、明治元(1868)年に広島藩ヘ招聘されるまで教育に尽力した。明治時代に入ると代々の館長・校長は朗慮の遺徳を称えるとともに、輿譲館の歴史・伝統を重んじるようになり、学校発祥の地である桜渓塾保存の機運も高まった。大正2(1913)年には、写真中にみられる石碑建立や草廬補修が行われた。本来の塾は石碑建立の場所にあったといわれている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.19
【ゆかりの人物】阪谷朗蘆
【Googlemap】
Googlemapを開く

旧制高梁中学絞

Kyusei takahashi chugakko

桜渓塾は旧川上郡九名村出身の儒学者 阪谷朗廬(さかたにろうろ)が、嘉永4(1851)年に後月郡築瀬村(現井原市芳井町築瀬)ヘ開いた塾。阪谷朗廬は大阪の大塩平八郎や江戸の昌谷精渓(さかやせいけい)、古賀侗庵(こがとうあん)らに学んだ、優れた儒学者であったが、26歳で病気の母の元ヘ帰郷、その後結婚し桜渓塾を開いた。しかしその後、朗廬の名声を伝え聞いた一橋領の友山勝次代官は、教諭所(後の郷学 興譲館)を設けるために彼を招聘し朗廬は後に初代輿譲館長となった。朗廬は嘉永6(1853)年より興譲館ヘ移り住むと、明治元(1868)年に広島藩ヘ招聘されるまで教育に尽力した。明治時代に入ると代々の館長・校長は朗慮の遺徳を称えるとともに、輿譲館の歴史・伝統を重んじるようになり、学校発祥の地である桜渓塾保存の機運も高まった。大正2(1913)年には、写真中にみられる石碑建立や草廬補修が行われた。本来の塾は石碑建立の場所にあったといわれている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.19
【ゆかりの人物】阪谷朗蘆
【Googlemap】
Googlemapを開く

私立順正高等女学校

Shiritsu junsei koto jogakko

順正女学校の校舎風景を写した絵葉書。明治12(1879)年、初めて高梁にキリスト教が紹介され、同15(1882)年に高梁キリスト教会が創立する前年、金森通倫や新島襄の影響を受けた福西志計子、木村静子によって女子教育専門の機関として「私立裁縫所」が紺屋川南岸の向町に設立された。近代女子教育機関としては岡山県最古のもので、同18(1885)年には順正女学校と改称し、初代校長にはキリスト教伝導に尽力した柴原宗助が就いた。同29(1896)年、伊吹岩五郎校長のとき紺屋川北岸の伊賀町に拡張移転した。昭和24(1949)年、旧制高梁中学校と合併により新制岡山県立高梁高等学校となるまでの間、この地域の女子教育の中心の役割を果たした。現在、岡山県指定史跡「順正寮跡」として、建造物も残され、旧順正女学校跡地にはその名を冠した学校法人順正学園がある。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.19
【ゆかりの人物】福西志計子
【Googlemap】
Googlemapを開く

吹屋小学校

Fukiya shogakko

現在、現役最古の木造校舎として知られる吹屋小学校と、その明治40年代頃の様子。欧屋小学校の発足は名称の変遷などはあるが明治6(1873)年とされ、学制の制定と三菱が吹屋の吉岡銅山を買収した年とほぼ時を同じくしている。明治31(1898)年、吉岡鉱山から当時の吹屋村ヘ吉岡鉱山本部跡地を吹屋村高等小学校校舎敷地として寄附され、現存の校舎はその場所に建てられた。校舎は同33(1900)年10月に東西校舎と東西廊下が竣工した。4年後には東校舎北東部の旧吹屋女学校校舎が完成し、本館は同42(1909)年11月に落成した。以来、100年余りの間、この地域の人々の学び舎として続いてきた。近年、近代化遺産の評価が高まるにつれ、欧匡小学校も注目されてきたが、平成23(2011)年度の卒業生を送り出したのち、閉校となる予定である。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.18
【Googlemap】
Googlemapを開く

笠岡ベイファーム

Kasaoka beifarm

平成19(2007)年度に国道2号笠岡バイパスが暫定的に供用開始となった。笠岡市は国土交通省と協力して、笠岡バイパスの側道沿いに県内で16箇所目の「道の駅」建設を決定し、平成23(2011)年8月4日に「笠岡ベイファーム」がグランドオープンした。オープン当日には多くの来場者が訪れ、盛大なものとなった。その後も、早朝から多くの人たちで賑わっている。笠岡湾干拓地内の100万本の「ひまわり」や道の駅の隣にある3haの農地の「コスモス」も祝福してくれている。「笠岡ベイファーム」の名称は、平成22(2010)年秋に名称募集を行って、応募総数527通の中から決定した。笠岡ベイファームは、笠岡湾干拓地をアピールして笠岡を情報発信していくとともに、笠岡の農産品・笠岡諸島の水産物や土産物などを販売する直売所やレストラン等の施設を備えており、道路利用者への情報や休憩サービスを提供している。笠岡の農業や観光産業の振興を進める新たな拠点となっている。

【所在地】笠岡市カブト南町245-5
【ゆかりの人物】森田 思軒
【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.16
【Googlemap】
Googlemapを開く

備中鴨方手延べ麺

Bichu kamogata tenobe men

浅口市北部、標高400m近い遙照山山系の阿部山を水源とする杉谷川周辺では、江戸時代の文政年間に農家の副業として、素麺生産が採用された。鴨方が麺の産地として発達した理由は、二毛作として栽培されていた小麦、瀬戸内海沿岸で生産されていた塩、そして湿度が低く晴天の日が多い気候という好条件に恵まれていたためであろう。江戸時代の末期になると播州(兵庫県)から水車石臼製粉技術が伝播。最盛期の明治末期には、水車小屋が杉谷川沿いに60力所に並び稼働していた。素麺作りは、12月から3月まで行われ、生地を仕込んでから麺に仕上げるまで、約30時間休む間もなく作業が続く。写真は、屋外での門干し作業。機(はた)とよぶ乾燥用の木枠に麺を掛け、2本の箸を操って、2本の間隔が2m程度になるまで延ばし麺線を作っていく。麺作りは、「麺生地は生き物」といわれるように天候条件により塩加減や熟成時間等を考慮する職人の技巧を垣間見ることができる当地域の伝統文化である。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.16
【Googlemap】
Googlemapを開く

矢掛嵐山

Yakage arashiyama

夏くれば 屋影の淵の涼しさに 行交ふ人は過ぎがてにする」一説には矢掛の地名の由来となったともいわれるこの歌は治暦4(1068)年に行われた大嘗祭に藤原経衡が奏上した和歌である。交通の要衝として知られる矢掛の平安時代後期ののどかな風景が目に浮かぶ。現在の矢掛の町並みは小田川に沿った自然堤防上にあり、江戸時代初めに西国街道(旧山陽道)の宿場町として形態を整えていく。屋敷は間口が狭く、奥行の長い、「うなぎの寝床」と呼ばれる短冊形の地割りで、今でも通り土間を持つ妻入りの町家が健在である。本陣や脇本陣をはじめ江戸時代の旧姿をとどめた町並みは岡山県町並み保存地区に選定されている。また、近年、徳川13代将軍家定の正室天障院篤姫が輿入れの際、旧矢掛本陣に宿泊した記録(石井家文書)が見つかり話題となった。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.13
【Googlemap】
Googlemapを開く

矢掛町商店街

Yakagecho shotengai

矢掛の商店街は、江戸時代の宿場が時代の経過の中で発展し、誕生したといえる。元来、矢掛の宿場ではそれぞれの町家が旅籠としての機能を持ちつつも、平常は商売を営んでおり、江戸時代中頃の町絵図にも、たたみや、たばこや、とうふやなど多彩な商家が記録に残されている。また、矢掛は町の南側を流れる小田川を利用した高瀬舟の川湊としての機能も持っていた。かつては陸と河川の交通の要衝として、人と物資が行きかい、賑わいをみせていたことが想像される。現存する古い町家は江戸期のものだけでなく、明治・大正・昭和初期に建てられたものも多く、伝統的な和風建築の中に近代化による洋風建築の技術と意匠を取り入れた斬新な建物もある。時代の変遷の中で技術の進歩とともに町がどのように発展してきたのかを物語る貴重な資料だといえよう。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.13
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁基督教会堂付近

Takahashi kirisuto kyokaido fukin

明治40(1907)年頃の高梁基督教会堂と紺屋川周辺を撮影した。教会堂には現在のような鐘楼はなく、また、河岸には桜ではなく、柳の並木が見える。教会堂の川を隔てて北西側には藩校有終館跡(現高梁幼稚園)がある。キリスト教が高梁に伝わったのは、明治12(1879)年10月、当地選出の岡山県会の議員柴原宗助の尽力により、金森通倫(1857~1945)と中川横太郎(1836~1903)が伝導を行ったことによる。翌年、同志社創立者新島襄(1843~1890)の伝導を経て、同15(1882)年4月に高梁キリスト教会が創立した。同22(1889)年に現在の場所に教会堂が建てられた。現在、岡山県に現存する最古のキリスト教会堂として岡山県指定史跡となっている。現在、教会堂には昭和39(1964)年に設置された北海道にある札幌市時計台を模した鐘楼があり、護岸には桜が並木をつくり、紺屋川を彩っている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.13
【Googlemap】
Googlemapを開く

吉岡鉱山専用軌道(成羽トロッコ道)

Yoshioka kouzan senyokido (nariwa torokko do)

明治45(1912)年6月に撮影された吹屋の吉岡銅山から産出する銅鉱石などを運搬するために設けられた鉱山専用軌道(トロッコ道)の様子。トロッコとは軽便軌道の上を、手押しで走る小型の貨車のことをいう。明治41(1908)年9月、軌道は備中町田原~成羽町古町間に敷設され、開通した。全長約16kmで、田原、古町には停車場が設けられた。特に成羽川左岸の備中町市原付近は岩盤がそそり立ち、岩を掘削して道をつくる難工事であった。写真はその市原付近を写しており、工事の犠牲者を供養して刻まれた「南妙法蓮華経日蓮大土」の文字が見える。トロッコは一般的には一人押しで、銅山関係の物資が運搬されたが、程なく一般貨物や人を運ぶことも行われた。また、物資増加に伴い、成羽町坂本まで延長され、5~6台連結の馬トロッコも利用された。現在、線路は取り外されているが、道筋は比較的よく残っている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.11
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁の町並み(明治40年ごろ)

Takahashi no machinami (meji 40 nengoro)

明治40(1907)年頃の高梁の町並みを撮影。高梁川西岸からサーカットカメラを用いて撮影されたパノラマ写真と思われる。城下町は城を中心として発達した町のことで、戦国時代後期に戦国大名などが家臣団を集住させ、商人を集めて形成され、支配の拠点とした。近世になり城が山から平地にしかも大規模に造られるようになると、城下町もそれとともに平地に移り規模が大きくなった。しかし、備中松山城は中世に最も顕著に現れた「山城」で、「根小屋式城郭」の典型でありながら、近世城郭化した数少ない城の一つである。従って、城下町も中国地方の山間部に営まれるようになった。四方を標高400m前後の山々に囲まれ(市街地は標高60~70m)、南北3km、東西1kmの盆地の西側を北から南ヘ高梁川が流れ、その東岸に城下町は発達した。写真はまだ高梁川に橋は架けられておらず江戸時代の松山河岸の風景をよく伝えている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.12
【Googlemap】
Googlemapを開く

高梁の町並み(大正10年ごろ)

Takahashi no machinami (taisho 10 nengoro)

大正10(1921)年頃の高梁の町並みを撮影。高梁川西岸からサーカットカメラを用いて撮影されたパノラマ写真と思われる。備中松山の城下町の構成は他の城下町と同様、武家町、商家町、寺院群に大別される。町は山城のある臥牛山南麓にある「御根小屋」(藩庁と藩主の居館を兼ねる)を中心に主に南方にしかも高梁川に沿って広がっている。武家町は町名を「町」とせず「丁」と表現する町が多かった。また、武家町の大半は6万5千石の所領と、相応の家臣団をもった池田家によって取り立てられた。商家町は江戸時代の初期から段階的に広がり、17世紀後半の水谷氏の跨代に南町が建設され、城下町の範囲がほぼ確定された。写真には方谷橋が見えるが、現在は、方谷橋も木造橋から鉄骨の橋となり、護岸の石垣はすべてコンクリート護岸となり国道180号線が通るようになった。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.13
【Googlemap】
Googlemapを開く

金神駅全景

Kojin eki zenkei

明治24(1891)年に私鉄山陽鉄道が笠岡まで開通すると、同年に玉島駅(現新倉敷駅)鴨方駅が開業した。その中間に位置する金光では、金光教の春・秋季大祭時には全国から参拝者があり、その利便性から大祭時には金神(こうじん)仮駅が設置された。また浅口群域は麦稈真田や酒蔵業・素麺業などの諸産業の発展が目覚ましく、金光でも常設駅の要望が高まり、明治34(1901)年金神駅が開業した。駅周辺は田畑に固まれたのどかな風景であったが、駅が開業されると、運送合資会社・銀行・土産物屋・旅館等が立ち並び、駅前の町並みも整備された。また駅前を中心に電燈が灯るなど静かな街も近代化が進んでいった。大正6(1917)年駅舎は大改修され、同8(1919)年金神駅から金光駅へと改称された。この写真は改修前の金神駅のものであるが、駅前に建物が並び、にぎやかに変遷してしく姿があらわれている。

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.24

伯備線足見陸梁

Hakubisen ashimi rikuryo

昭和3(1928)年10月に伯備線が全通した。これで初めて岡山・鳥取両県が鉄道で直接結ばれることになった。ここに両県民の宿願であった、いわゆる陰陽連絡鉄道が完成をみたのである。その計画は早くからあったが、明治25(1892)年に制定された「鉄道敷設法」には3本の比較線が示された。その内の西方線(倉敷―境)が、伯備線の前身である。その後、備中地域の人々が、犬養毅率いる国民党を支持して猛烈な建設運動を展開した経緯もある。一方、高梁川には古くから高瀬舟が就航していた。鉄道は、その速度、積載量、安全性などにおいて、高瀬舟の競争相手ではなかった。鉄道建設が進むにつれて、高瀬舟は次第にその姿を消すことになった。写真では、帆を上げて川上ヘ向かう一艘の高瀬舟、岸には弧を描いたレールが見える。黒煙を吹き上げる汽車が、今にも姿を現しそうな歴史的な一枚の写真である。(新見市足見、「伯備線建設概要」より)

【参考文献】高梁川流域今昔写真展 p.10