山室 軍平【1872~1940】宗教家新見市やまむろ ぐんぺい

 

 明治5(1872)年、哲多郡則安村(新見市哲多町)に生まれる。明治14(1881)年、賀陽郡上足守村の杉本家に養子入する。松浦黙(漢学者)の塾で学び、儒学の素養を身につける。明治19(1886)年、勉学のため家出をし、上京。活版製作所の職工となり、講義録により独学する。この頃、キリスト教の路傍演説を聞き、これをきっかけに入信に至る。明治22(1889)年、新島襄を慕い同志社に入学し、苦学を重ねたが信仰上の悩みから、同校を去り高梁教会で伝道に従う。

 明治28(1895)年、宮崎県茶臼原の岡山孤児院農業部で開墾に従事する。同年、上京の折、初来日した救世軍を訪問し、その一員となる。明治29(1896)年、日本人初の救世軍士官となる。以後四十数年間にわたる精力的な社会活動を行い、手がけた事業、施設は300に及ぶ。主な事業を簡単に紹介すると、明治32(1899)年、『平民之福音』を執筆。廃娼運動の推進。さらに、歳末の街頭にみる「社会鍋」などが取り上げられる。

 医療面では、救世軍病院、結核療養所を開設、実現はしなかったがハンセン病療養所の経営計画などがある。九州・沖縄伝道で体調を崩すが、病躯をおし活動をつづけ、昭和15(1940)年、68歳で生涯を終えた。

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